Author: Y. Kobashi
Date : 19 April 2004 (url change); 2000/04/21 (modified); 1996/04/25 (created)


小橋康章,「決定を支援する」,東京大学出版会,1988
第2章 意思決定の研究

2.1 意思決定研究の分類


2.1.1 「ため」の研究と「ついて」の研究

(1)意思決定の「ため」の研究

意思決定のための研究は,よりよい意思決定を行なうための知識の拡充に寄与 することを目的とした行為である.従って,具体的な決定場面,例えば特定の 会社の経営上の意思決定に関して,どんな指標に注目して何を制御すべきかと いうレベルで解決案を求めることもあるだろう.またもっと一般的に,不確か な情報をどう決定に反映させるべきか,という問題のたてかたもできる.これ らの研究のアウトプットは,よりよい意思決定を行なうための助言とその正当 化の筋道の通った体系であろう.こうした体系を規範的理論あるいは単に規範 理論と呼ぶことにしよう.むろんこの定義では「いかに決断すべきか?」とい った実用書的な理論まで規範的理論に含めてしまうことになるが,ここで規範 的理論の品質の規準をきちんと考えることにするなら,定義がゆるやかなもの になったことのデメリットはそれほどないであろう.質の規準はこのあと述べ る研究課題のレベルにも依存している.こうした規準のひとつは普遍性であっ て,例えば統計的意思決定理論の普遍性(視野)は,ちょっとした経営のヒン トとその正当化からなる実用的理論よりはるかにひろく,前者の正当化の論理 的な厳密性は後者のそれより高いはずである.しかしこのことによって実用的 な理論が理論でなくなってしまったわけではない.

(2)意思決定に「ついて」の研究

これに対して,意思決定についての研究はこうした改善への志向を少なくとも 表だってはもたない.ここでの主要な関心は,個人や,企業,家族などの人間 の組織は,どんな環境条件や課題のもとで,どんな決定を下すか,その決定に いたる過程やメカニズムはどんなものかなどである.この分野の研究者はこれ らの問いに答える形で,人間の意思決定行動を正確に記述する一般的な法則を 中心にした理論,すなわち記述的理論を構成しようとする.普遍性や厳密性は 記述的理論にもあてはまる質の規準だが,ここでの厳密性は経験的なテストの 結果との対応に関していうものであろう.従って意思決定の規範的理論やその 中に現われるモデルをとりあげて,人間はこの理論との比較でどう振舞ってい るかという関心から理論を拡充しようとするなら,それは意思決定についての 研究であり,その結果の産物は記述的理論である.

2.1.2 研究課題のレベル

規範的か記述的かという理論の性質による区別とは独立に,研究課題のレベル によって,広い意味での意思決定に関する研究を分類することができる.この 分類は絶対的なものではなく,境界的なケースもあり,ひとつの研究が2つの レベルにまたがっておこなわれることもありうるが,こうした区別を考えるこ とによって,意思決定事態の内容的なバリエーションをこえた,意思決定行為 というひとつの行為の一般的な検討が可能なことが認識できるようになる.同 様に,意思決定を支援することを目的とした理論や実践をそれ自体ひとつの問 題として検討できるようになるわけである.

レベルによる分類を行なうのは単なる知的な興味を満足させるためではない.

私は意思決定の研究をしていると専門外の知人に話したとしよう.そんなこ とができるんですかと,懐疑と羨望のいりまじった答えがかえってくるのが普 通である.あるひとびとは,意思決定は個々のケースによって特殊であり,一 般論など意味がないと考える.意思決定は主観的なものであるので,あるいは 感情的な要因に左右されるので,合理的に割り切るのは無理だという.また, 別の人たちは,そんなうまい方法があるのなら,今ちょうど迷っていることが あるので決め方を教えてほしいという.一般に特定の分野での技術的な判断を ともなう決定にはその分野に特有の知識が必要である.企業の経営上の意思決 定に関しては,どんな指標に注目して何を制御すべきかという知識が必要な場 合もある(岩堀, 1984).医師の診断にはいうまでもなく医学的な知識が必要で ある.またいわゆる専門的な知識ではなくても,洋服の選択のように,意思決 定者である買い手の好みや,どんな場合にその服を来ようとしているのかとい ったTPOについての知識がなければ,とても決定できない場合がある.これ らは意思決定者の抱えている問題であって,これらを常に満足すべき解決に導 く一般的な方法はないし,また問題の所持者自身がこれを意思決定問題と意識 しているとも限らない.私たちが日常意思決定について語るときは,めったに このレベルの外に出ることはない.

ところが,多くの意思決定研究は意思決定という行為一般に関わっていて, その分だけ個々の意思決定問題の内容には立ち入らない傾向がある.上の問題 とは一段レベルの違う研究課題がここにはあって,人間は一般にどのように決 定しているかとか,不確実な情報をどう決定に反映させるべきかといった話題 がここでは中心的な地位をしめる.このレベルで決定を語る人と,上の決定問 題のレベルで意思決定を理解する人との会話においては,はじめに述べたよう なとまどいがしばしばみられるわけである.もちろん,このレベルと決定問題 のレベルの間に全くゆききがないわけではなく,このレベルでの知識をもとに 具体的な問題を意思決定の問題とみなしてみたり,このレベルでの規範的な理 論を具体的な問題の解決に応用したりすることがある.

しかしこれで話がすんだわけではない.なぜ意思決定行為の研究をおこなう かの動機は研究者によってさまざまだろうが,ひとつの大きな理由は意思決定 行為を研究することによって,この行為の改善をはかりたいということであろ う.この目的に関して,意思決定理論やそこから導き出された意思決定規則が どのていど貢献するかの検討は,もうひとつ上のレベルで行なわれる.

この関係を下にもう一度まとめておくことにしよう.

(1)意思決定問題

意思決定者の抱えている問題そのものをこのレベルでは問題にする.従って, 研究を実行するのは現に問題を抱えている意思決定者か,その支援者である. 限られた時間と費用の拘束条件のもとで,解決すべき問題だという点でこれは 応用研究である.例えば次のような問題を意思決定問題とみなすこともできる:

(2)意思決定行為

ここでは,(1)の問題の解決のための意思決定行為自体が問題になる.個々 の決定問題の内容的な差異をこえて,意思決定行為に共通の構造やパターンや 規則を見いだそうとする.一般に意思決定の研究というときの研究課題は,規 範的理論を目指すにせよ記述的理論を目指すにせよ,このレベルにあるだろう.

(3)意思決定支援

意思決定行為を研究する少なくともひとつの目的は,決定の支援をより適切 におこなうための知識の拡充である.つまり,こうした知識を獲得することに よってよりよく決定を行なうことができるという仮定がある.支援への志向は 規範的理論において顕著であるが,記述的理論をめざす研究であっても,その 結果得られた知見によって決定行為を改善できるのではないかという期待が出 発点にあることはまれではない.それならば一歩すすんで,意思決定の支援の 手続きとは一般にどんなものなのか,支援はどんなときに成功し.どんなとき に失敗するのか.規範的理論を現実に適用したときの実質的な効果はどんなも のなのか.このように,意思決定支援を研究課題とする研究は,(2)の問題 の解決策を問題としてとりあげた研究ともいえる.規範理論や意思決定支援シ ステムの利用や,意思決定のヒューリスティックの研究に関しての理論的反省 をはじめ,意思決定支援の副次作用なども含む研究が意思決定支援行為そのも のを研究課題とする研究である.

2.1.3 意思決定研究のマトリックス

「ついて」と「ため」という2つの研究の方向と,研究課題の3つのレベルを 組み合わせると表2.1のように,1Aから3Bまで6つの分類項目が生じる.

表2.1

課題レベル A.「ついて」の研究 B. 「ため」の研究
1.意思決定問題 1A
具体的な決定問題の歴史的分析
1B
具体的問題の解決のための応用研究
2.意思決定行為 2A
選択行動確率判断の心理学的研究
・実験ゲーム
2B
主観期待効用理論(SEU)
多属性効用理論(MAUT)
・ゲームの理論
3.意思決定支援 3A
・デシジョン・エイドの評価研究
3B
・規範理論と利用者のインタフェース
・支援の正当化

次の節ではまず,1A,1Bに相当する意思決定問題のレベルにおける研究の 可能性にふれ,つづいて2の意思決定行為のレベルにおける話題をA,Bそれ ぞれの方向からとらえる.意思決定支援レベルの問題については次章以下でよ り詳しく検討しよう.


2 意思決定の研究問題
2.1 意思決定研究の分類
2.2 意思決定問題
2.3 属性で表現される選択肢
2.4 確率判断の修正
2.5 確からしさと価値
2.6 結論

E-mail: PDB00176@nifty.ne.jp (小橋康章)
* 文献集 * 文頭 * 目次 * 小橋ホーム

URL=http://homepage3.nifty.com/hiway/dm/ b88-21.htm