「サイバネティクス序説」(Ashby, 1956a)などの著書で知られるロス・アシュビー(W. Ross Ashby) は1956年に「知能増幅装置のデザイン(Design for an intelligence amplifier)」という論文を発表して,動力装置をもった機械が人間の肉体的な力を増幅するように,ある種の装置によって人間の知的な能力を増幅できると主張した(Ashby, 1956b).彼の構想のユニークな点は,こうした装置に人工知能のように人間の知能的な行為を代行させるのではなく,人間の行為を入力としてそれを支援・増幅させようとしたことである.
アシュビーの提案した方法は形式的には生成検証法(Generation and Test) という人工知能研究ではよく知られた方法に似ており,むしろそのためもあってか,大規模な文献検索システムを使っても,知能増幅というキーワードをもつ文献はほとんど皆無に等しい.生成検証法とは,次のような方法である(Newell & Simon, 1972, pp95-97).Uという集合とその部分集合Gがあるとする.Uは解の候補として考えられるあらゆるものごとの集合,Gは解としてのすべての条件をみたすものごとの集合であると解釈しておけばよいだろう.問題を解決するというのは,Gの要素を発見するか,作り出すか,選びだすか,とにかくそういうことだと考える.なにかがGの要素であるかどうかは,Uの要素をなんらかの検査にかけて,果してそれをGの要素としてよいかを検証することによって決まる.生成検証法では,まず第1段階としてUの要素であるような解の候補が生成される.続いて,生成された候補をテストして,Gの要素としてよいかどうかを決める,検証の段階がくる.例えば,お客の人数が多いので食堂の椅子が一つ足りなくなったとする.ほかの部屋から持ってこなければならない.この簡単な問題の場合,Uは家中にある全ての椅子の集合である.生成に当たるのは,適当な順序で家中にある椅子の一つ一つに注意を向けることであろう.検証は単純で,大きくて重いものや,あまりみすぼらしいものはだめだが,そのほかはなんでもよろしい.こうして条件をみたすひとつの椅子が選ばれ,問題は解決する.金庫の合わせ錠の番号をさぐるのも,チェスの次の一手を決めるのも,これと同じ原理に従うというわけである.ファイゲンバウム(Feigenbaum,1979) は,知能的プログラムと人間の知能をカバーする共通の原理があるとするなら,それは生成検証法であるとしている.心理学者もまた問題を解く過程は探索の過程と見なせると考えてきた (Duncker,1945; 安西,1985).
生成検証法は問題事態の性質によって能率的であったりなかったりする.その能率の改善の道具としてヒューリスティックが登場する.しかしこのヒューリスティックは常にうまく働くのだろうか.
アシュビーの説明に習っていうなら,子供がいたずらがきをしていても,偶然,
cos2x+sin2x=1
とかきなぐる可能性はまったくないわけではない.難しいのは間違った答えを出さないことで,いたずらがきをする子供が三角関数を知っているといえないのは,正しい式と同じ確率で,
cos2x+sin2x=2
だとか,それこそ,
ci)xsi=nx1abc
だとか書きかねないからである.もちろん然るべき数学教育を受けることによって子供は間違った文字列は書かないようになる.こうしてその子供はより選別的になるのである.
増幅の過程は2段階で行われることは容易にわかる.直線的な加速の事態を例にとってみると,運転者がアクセルを踏んでエンジンへの燃料の供給を増加させる段階と,燃料である混合ガスが燃焼して実際に速度が増加する段階である.それぞれの段階に別々のエネルギー源があって,それを組み合わせることによって全体としては増幅が実現されるわけである.
園芸用のふるいが一つの例である.庭土から小石をひろいだすふるいを思い描いていただきたい.目の粗さの異なるいくつかのふるいがあるとき,人はこのふるいのなかの一つをとり出すことによって,小石をひろいだすという主たる選別をおこなうシステムを選ぶことになる.ふるいの選択,続いて庭土からの小石の選別と,選択は2段階で実現される.
人事部長が情報処理要員を選抜する.これも実際の選別を行う採用試験の選択を人事部長が行うことによって,2段階で実現することができる.候補が多い場合はかなりの選択の増幅になるはずである.
一般に,意思決定者は意思決定規則を選択することによって,選択肢からの選択の増幅を実現できる.選別の「規模」は選択されたものによっては定義できない.この大きさを評価するには,どんな選択肢から選択が行われるかを知る必要がある.
(図3.4)
このとき,XとSをあわせた全体が静止状態 (resting state)にあるということはX,S,それぞれの部分が静止状態にあるということである.例えていうなら,それぞれの部分は,他の部分が生成,提案してくる静止状態の候補をテストして,拒否権を行使しうる立場にあるといえよう.そこで,ある適当な条件cが成立したときにのみSが静止状態にあるようにSを設計するなら,Sが拒否権を持っているのだから,全体が静止状態にあるということは,必ずSについてcが成立していることを意味する.次にXにおいて条件dが成立するときに限りSにおいてcが生じることを許すようにGのリンクが設計されているとしよう.このときSの拒否権行使能力によって,全体が静止状態にあるときはXにおいて条件dが成立していることが保証される.従って,こうした性質が実現されるようにSとGとを選ぶことで,条件dを成立させる状態のみが恒久的であることが保証される.このようにdの選択は2つの段階を追って行われる.第1段階は,設計者によるSとGとcの指定,第2段階はSが設計者に頼ることなく自力でXの状態を次々に拒否し,ついに条件dが成立したときに限ってその状態を容認する.この第2段階での選択性は第1段階よりきわめて大きいかもしれない.
支援の設計者も,被支援者とその環境からなるXの中で達成したい条件dを考える.Xにおけるdの選択は支援設計者の力の及ぶところではないので,Gを通じてXでdが成立したという情報が入ってきたときに限り静止状態にはいるようなシステムSをXに連結する.こうしておけば,時間の経過の内に,いずれはdが成立する.
支援設計者は,自分自身よい行為を知っているとかそれを実行してみせられるという必要はない.むしろ設計されたシステムには支援設計者以上の能力を示してほしいのである.Sは意思決定規則であるかもしれないし,コンピュータを利用したデシジョン・エイドであるかもしれない.いずれにしても,Sもその設計者もXの一部である意思決定者を自分自身のモデルによって教育する必要はないことがわかる.Xは自由に状態を変化させればよろしい.そのうちにSは意思決定者も納得しているなんらかの規準にしたがって,意思決定者自身が環境とともに,満足できる状態dに入ったとき正常に停止する(c).逆になんらかの理由によってXがなかなかdをみたさないときは,少なくともXが現状で停止しないよう変動を生むリンクUを通じてXに働きかける必要がある.これが基本であり,このあとのことは,その上につけ加えられたものにすぎない.
解はしばしばn個の変数の値という形で求められる.nの大きさとそれぞれの要素(変数)の中での場合(値)の数によって,可能な解の集合の大きさが決まる.
a.モデルを使う
b.制約を使う
c.コンポーネントに分割する
この方法は次のように定式化できる.前出の生成検証法の説明と同じように,集合Uを考える.Uの下位集合Gを問題への解の集合とする.問題解決の課題はGの要素をひとつ発見することである.ここにもうひとつの集合U’があって,その中にGに対応づけられるような要素の集合G’を認めることができるなら,モデルの方法を使うことができる.このとき探索はG’の要素を求めてU’のうえで行なわれる.うまくそのような要素が見つかればUとU’の対応関係を逆にたどってUにおける問題の解を見いだすことができる.ひとりふえた客のために椅子をさがす例を思いだしていただけるなら,U’は家中の椅子の写真入りのカタログ,G’はその中で食卓用に適当な椅子の記述ということになるだろう.現実の椅子とカタログの項目との間に対応がついているなら,カタログでさがして,対応する実物を持ってくればよいわけである.
この方法を使う価値があるのはもちろんU’における探索のスピードが非常に大きくて,
例えば,事前知識による拘束が考えられる.この世の中にはまったく新しい問題というものはほとんど存在しない.過去に集積された知識は解の可能性に拘束を与え,探索すべき領域を縮小することで,問題の解決のための探索時間を短縮する効果をもつ.過去の経験からさがすべき椅子は居間以外にはないということがわかっているなら,居間だけさがせばよいので問題解決の能率はずっと改善される.過去の経験は,本質的には,解はある領域にはないことを私たちに警告するという方向で機能する.従って,これが裏目にでると本当は解のある領域を探索から除外してしまうことになる.解こうとしている問題が過去に多くの人たちに何度も解決されてきた問題と同一の種類に属するときには事前知識の効用は最も顕著だといえる.こうした知識をもっていることは,探索のプロセスをゴールに向かって既にいくらか進めたところから始めるのと同じことである.
こんな性質をもったヒューリスティックをアルゴリスムと同一視するところに大きな問題が生じるといえよう.ヒューリスティックをその解決のために使いたかった最初の問題をヒューリスティック探索の問題に置き換えてしまい,もともとの問題を取り戻す道をふさいでしまうと,こうした同一視が起きる.
心の悩みを抱えた人間の支援に当たることを仕事にしている人々にサイコセラピストすなわち精神療法家(psychotherapists)がいる.彼らの患者が治療をうけにやってくるときの典型的な様子は,苦痛,まひ感覚,自分の生活において選択の可能性も行動の自由もないという感覚で特徴づけられる.
「この人々は,自分がもっているオプションや可能性が見えなくなるよう,自分自身のじゃまをしているというのが私たちの観察である.こんなことが生ずるのは,オプションや可能性が,この人々の世界のモデルの中で,どこからも手に入らないようになっているからである. ... 人々が自分自身に対して絶えず苦痛や悩みをひきおこすのはなぜかを理解する上で,かれらは悪い人間でも,気がふれているわけでも,また,病気なわけでもないことに気づいたのは,私たちにとって重要なことであった.実際にはかれらは自分達が知っている限りの選択肢の中から最善の選択をおこなっているのである.すなわち,かれらのもつモデルのなかで達成可能な最善の選択を(Bandler and Grinder, 1975, pp.13-14).」
一般に精神療法は変化ということに関わっている.しかし療法によって何を変化させようとしているのかについては関係者の意見も大きく異なっている.精神療法にはさまざまな学派,流派があって,それぞれ異なった人間のモデルや,人間の抱える心の問題のモデルを採用しているためである.しかし,実用的に考えるなら,相談者の助けを求めてくるひとびとは,なんらかの形で,自分自身と世界の関わり方についての悩みをもっているのだということができる(Watzlawick, 1978).私たちは,自分たちの住んでいる世界を直接操作するのではなくて,そのモデルや略図を作っては,それでもって行動の指針としている.従って,効果的な支援は被支援者が自分の経験を表現する方法になんらかの変化をもたらすものだといえよう.どんな形式の精神療法にせよ,成功にいたる場合には,被支援者のもつモデルの変化をともなうものであり,その変化の方向は被支援者に自分の行動に関してより多くの選択肢の中から選択を許すようなものであるといわれる.
特に心の悩みというようなものでなくても,例えば,現実の問題をヒューリスティック探索の問題に一時的に置き換えるだけでなく,もともとの問題を取り戻す道をふさいでしまうと,成功の保証がないという際だった性質をもったヒューリスティックをアルゴリスムと同一視することになり,可能な行為のオプションを狭めてしまうことになる.結局この置き換えは失敗であることが後になってわかるかも知れない.そのときにはほかのモデルなり方略を試してみなければならないのに,はやばやと全ての方法を既に試してみたような気になっていては,問題の解決のしようがないわけである.
さらに,問題解決の行為自体が問題を生みだすことを認識し,そこから抜け出す方法を,本来の問題解決の方法とは別に考えておくことが大切であろう(Watzlawick, et al., 1974).
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