Author: 道路交通問題研究会, All Rights Reserved
Date : 2004年9月1日 (作成)


道路交通問題研究会編

道路交通政策史概観

論述編

別編 道路交通施策への若干の提言


道路交通政策史概観論述編別編 道路交通施策への若干の提言> 第3章 提 言

第3章 提 言

 21世紀を迎えて、更に、新たな構想を以て、政策が策定され展開されようとしている。その機に、過去の交通の推移を追って見ると、将来に向かって考え見なければならないような課題が多々ある。それらの課題の中の教訓と、現に展開されている道路交通の諸施策に対する所見を併せて、若干の意見を提言として提示する。

第1 道路交通の概念を明確にすること

1 道路交通という用語は一般的なことばとして、ごく普通に使用されているし、また法令の中でも、屡々使用されている。さて、この場合その道路交通という用語は、それ自体定まった概念をもっているものかどうか。
  道路交通法は主として道路交通に関することをその規定の内容としているが、その中では、「道路の交通」ということばが使われており、そのことばの意味は、「道路における、交通の安全と円滑」というように、道路の上で行われている交通そのものであると解される。その意味からは、道路交通法は「道路における“交通”に関する法律」であると考えるのが至当である。この法律の中の用語の定義を見ると、「道路」「歩道」等道路に関するものは数多く定められているが、「道路交通」ということばの定義はない。「交通」ということばの定義もない。交通という用語は、一般的な用語として殊更に定義づけをする必要がないからであろう。しかし、講学上では交通の意味について論議がある。交通問題についての碩学藤岡長敏氏はその著書において、「交通とは、人が場所的に移動し、又は人若しくは物を移動する行為を言う。人が自ら移動する行為を通行と称し、人若しくは物を移転する行為を通常、輸送、運輸又は逓送と言っている。しかして、輸送せられる人を旅客と言い、物を貨物と言うが故に、交通とは人の通行又は旅客若しくは貨物の輸送であるということができる」と述べている。この見解に対し、交通には通信なども含むもっと広い概念であるとして、藤岡氏の説を厳しく批判する説もある。
  過去の道路交通の歴史を見て、道路交通ということばそのものについて、それを有意的に理解して、使用していると思われる例は、少なくとも、昭和20年代まではないように思う。

2 昭和30年代に入って来ると、道路の上の交通に多くの異常な状態が出現するようになった。交通事故の増加、とくに死者、傷者という犠牲を伴う事故が多くなった。原因はいろいろあるが、都市内で交通渋滞が多く発生するようになった。警音器の乱用による交通騒音からはじまって、自動車の通行そのものから生ずる公害が発生するようになった。
  このような状態に対し、政府は「交通事故防止対策要綱」を決定し、主として交通事故の防止を主眼点として、関係のある行政機関に対し、それぞれの行政を通して、その対策を推進することを要請した。しかし、当時の状態からは、その効果の期待は、警察の交通取締りにしわ寄せする形になっていた。
  当時、交通事故は、専ら、自動車等車両の運転者の所為によるものとして、交通事故の防止は、厳しい取締りによるものと考えられていた。
  しかし、交通事故は取締りのみでは、防止できるものでないことは、交通事故の起こる原因を調査すれば明らかであった。その当時は交通警察の関係者はその事情を明らかにするため、交通事故の起こることの背景を検討して、「道路交通の実態と対策」という警察の内部資料を作成したが、この資料で「道路交通は、道路と人と自動車等車両が相互に関係し合って実現している社会生活、あるいは社会現象と考えるべきもの」という見解を明らかにした。漠然としてしてはいるが、この資料で「道路の交通」を単なる動的な交通ではなく、「道路交通」という道路と人と自動車が構造的に組み合っている現象として把握すべきことを指摘した。この資料は、交通事故は、運転者の所為のみを原因とするのではなく、構造的複合的な事由をも原因とするものであることを明らかにしようと試みたのである。

3 昭和30年代後半からモータリゼーションの進展に応ずるように、交通事故のほかに交通渋滞が頻発するようになり、また、自動車の通行による騒音、排気ガス等の交通公害が社会問題となって来た。このような交通事情が悪化して来ると、政府、各省庁の交通対策も、それぞれの行政の立場で、実施するとともに、その対策の総合的な実施の必要性を考えることになった。その一つの典型的な例は、「交通安全施設等整備事業に関する緊急措置法」(昭和41年4月)の制定である。この法律は、道路管理者と、警察機関が部分的ではあるが、道路交通に関して、共同して対策を実施することを定めたものである。また、交通安全対策基本法は、交通安全に関し、その対策の総合的、かつ計画的な推進を図ることを定めたものである。これらの法律は、その用語がどのようなものであれ、道路の交通に関する限りは、「道路交通」という道路、人、自動車の複合した状態を考えて、対策の実施の総合化を述べているものと思料する。

4 平成年代に入って、道路交通はますます深刻な状態になり、道路政策の面からも、運輸交通政策の立場からも、それまでの道路交通に対する考え方及び政策について、根本的な検討をすることとし、それぞれの審議会にその意見を求めた。それらの審議会の答申又は建議については、前の章で紹介したが、これによって見ると、明らかに従来の道路交通についての考え方を根本的に変革することを強く要請していることが判る。道路審議会の答申(平成6年)及び建議(平成9年)は、“新時代の道の姿を求めて”道づくりの思想の変革を提唱し、また、“道路政策変革への提言”を建議して、従来の道路政策の変革を建議している。その述べるところ、論ずるところ、その対象は「道路交通」である。

  運輸審議会の答申(平成12年)は、“転換を迫られるわが国の交通システム”という考えの下で、“21世紀初頭の交通政策の考え方”を述べているが、その中で、“交通の質的側面の向上をより重視した政策の展開”として“交通政策として、移動の快適性、輸送の効率性、環境との調和の確保や安全性の向上”というような要請に応えるべきことを述べている。
  これらの答申又は建議が、強く提言している政策の転換は、即ち、道路交通の質的向上であり、道路交通についての考え方の変革ということに他ならないと思う。
  政府は平成7年2月に「高度情報通信社会推進に向けた基本方針」を策定したが、その方針に基づいて、関係5省庁が共同して検討して取りまとめた「高度道路交通システム(ITS)推進に関する全体構想」において「最先端の情報通信技術を用いて、人と道路と車両とを一体のシステムとして構築することにより、云々」と述べてITSの意義を明らかにしている。このITS構想の考え方の基本にある人と道路と車両とを一体としたシステムということは、まさしく「道路交通」の別の表現であると考えられるし、また、道路交通の概念であるとも考えることができるのではないだろうか。

5 以上述べたように、現在、道路行政、運輸交通行政、交通警察行政を通じてその考え方を新たにし、その政策の転換を図ることの要請の最も急なるものは、「道路交通」をその対象とする行政の分野である。その要請に応えるためには、政府は、道路交通という概念を明確に定め、その概念の明らかになった道路交通に係わる行政の整合化を考え、総合化を図る方途を考えるべきである。

第2 政策策定の考え方についての提言

1 道路、運輸交通、交通警察等道路交通に係わる行政省庁の「新しい時代に向けての政策」の考え方と方向について、検討してみると、もとより、それまでの政策、施策の積み重ねの上ではあるけれど、なおかつ、平成年代に入ってからは、それぞれの行政の立場で、それまでとは異なったかなり大きな思考の転換が行われ又は行われつつあるように思われる。それは、国の他の政策の転換として、経済構造改革、行政改革、その他各方面における制度改革が行われていることの一環であるかも知れない。
  しかしながら、道路交通については、そのような一般的な改革とは別に、考えなければならぬ理由がある。それは、今まで道路交通ということを真っ正面に据えた国としての基本政策があったかということである。道路づくりのための道路政策はあった。運輸交通についての政策もあった。そして、それぞれの政策の中で、道路交通に係わる施策はあった。
  昭和45年度に制定された「交通安全対策基本法」は、道路上の交通安全に限らず、陸海空の交通の安全に関する基本的、総合的な政策を定めているものであるが、この法律を以て、国としての道路交通の基本政策を定めているとの理解はし難い。
  この編の前章で紹介したように、今、道路交通についての関係行政機関の政策及び施策の方向について、その考え方に大きな転換が行われている。しかも、その転換は、明文をもっては、必ずしも書かれていないが、考え方の基礎として、「道路と人と自動車を一体として構築して」ということを前提として、あるいは内容として、検討するという方向に向かって、行われたことは確かである。
  政府は、このように、道路交通についての各行政分野で大きな転換が行われようとしている機会に、将来に向かっての道路交通についての国としての基本的な政策を明示すべきである。

2 国としての政策に盛り込むべきものについて所見を述べる。

(1) 政策の対象を明確にすること
  道路交通関係については、基本的な法律として、道路法、道路運送法、道路運送車両法、道路交通法、交通安全対策基本法などがあり、さらに、それぞれの目的に応じた法律又は命令が多数制定されている。ところが、道路と人と自動車を一体のものとして構築し、その構築したものを対象として、政策を明らかにしている法律又は命令はないように思うが如何であろう。
  この章の第1の項で提言している「道路交通」の概念を明確にして、その道路交通を政策の対象としてとりあげるべきではないか。

(2) 政策の目標を明らかにすること
  道路交通は、その国の文化度を最も端的な形として示しているものであるという基本的な考え方を明示して、その上に立って目標を明らかに定めることである。   その目標を総括的な表現で言えば、「安全、円滑、そして快適な道路交通を確保すること」である。さらに、その目標を具体的に設定するとすれば、次のようになるであろう。

@ 人命の尊重の徹底
  年間1万人の死者、100万人の負傷者が毎年、殆ど変わることなく出て、それが恒常化してしまっているという事実は、極めて重大なことである。この事実について、政府も、関係機関も、その認識についての意識改革をすべきである。従来、政府は、死亡者の数が多くなると、その都度、対策を指示して「死亡者を何人以下にする」というような目標を示しているが、本来的にいえば「死亡者は0にする」ということであるべきである。それでは余りにも、現実離れしているということで、従来、年間目標として、実現可能な限度を示しているのであろう。しかし、最終目標は、0でなければならない。交通事故は人が起こし、その人によって他の人に重大な被害を与える災害である。それは、自然災害でもなく、事変でもなく、全く平穏な日常生活の中で生起している人為的なものである。道路交通に係わるすべての公的機関、団体、個人に人命の尊重の観念を徹底させて、交通事故の防止を図ることを目標として掲げるべきである。

A 交通渋滞の解明と解消
  都市部の交通渋滞は日常化しており、渋滞していることが道路交通の常であると、“諦め”に近い気持ちに市民を追い込んでいると言えば、過言であろうか。しかし、現実は、その通りである。東京都内の首都高速道路も、阪神高速道路も、有料であるにかかわらず、渋滞が常態化している。高速自動車道も絶えず渋滞を起こしている。都市内又はその周辺の一般道も、場所により、時間によっては、渋滞が常態化している。従来このような渋滞に対して対策がなかった訳ではない。交通警察は交通規制の権限の限度一杯の措置を執り、科学的な装置を設けて、渋滞解消の対策を展開している。交通安全施設に関する緊急措置法は、渋滞解消のための対策としては、画期的なものである。そのような措置、対策にかかわらず、渋滞が解消することはなかった。
  あらためて渋滞とは何かということについて、解明する必要がある。わが国の自動車交通の急速な進展と、それを受容する道路条件の整備の遅れによって多くのひずみを生じ、そのひずみを解消しないまま、それらが累積し、その中から生じているのが渋滞である。渋滞は一時的、部分的なものではなく、その原因は深く道路交通を組み立てている構造の中に存している。従来、そのことについての厳しい認識を欠いていたのではないか。渋滞のない道路交通の確保を基本的な道路交通の理念とする認識と、道路交通には渋滞は已むを得ないものとする認識とでは、その対策の考え方に大きな差異が出てくる。政府としては、渋滞に対する厳しい認識の上で、その政策目標に渋滞の解明と解消を掲げるべきである。

B 環境との調和
  自動車による交通公害の問題は、環境保全の一環として当然、道路交通の政策目標とすべきであるが、それとともに住宅地域、商店街等の環境について、積極的な対策を考えなければならない。このことについては道路政策の観点からも、運輸交通政策の観点からも、その新しい政策の中で積極的に取り上げられているが、総合的な道路交通の観点から、政府として、そのことについての考え方を明示し、積極的な居住環境の整備の方策を定めるべきである。

(3) 政策の実施方策の基本を明らかにすること
  道路交通について関係行政省庁は、新しい時代に向けて行うべき施策をそれぞれの行政の立場で、明らかにしている。何れも、現時点においてはそれ以上につけ加えるものは殆どないといってよいのではないか。しかし、その諸施策の実施については、政府(内閣)の主体的な立場から道路交通の基本政策の主要な要件として以下のようなことについて検討すべきである。

@ 第1は、総合的な効果を発揮するための施策の調整である。各省庁とも、それぞれの所管行政の分野で多彩な施策を展開しようとしているが、道路交通を対象とした場合、その施策が競合することが決して少なくないと思われる。そのことについて、“縦割り行政による縄張り”であるとか、“省庁間の権限争い”というような批判が過去においてあった。しかし現実には、むしろ、消極的な“権限争い”で、他の行政分野に関与することを厳しく戒めて、施策に空白を生じたこともあった。
  道路交通の施策の場合は、その性質上、とりわけ、タイミングよく、かつ、総合的に実施されることが極めて重要なことである。そのためには、施策の調整ということを実施方策の基本要件とすべきである。

A 第2には対策の実施の確保と効果の評定である。
  決定された対策は、その実施が確保されなければならない。そのためには内閣に、道路交通に係る行政を調整し、かつ、必要な指示をすることの出来る強力な組織を設けるべきである。在来もそのような目的のために、組織機構が設けられ、その目的の範囲内で諸般の措置が執られている。
  道路交通の概念を明らかにし、明らかにされた道路交通に対する基本的な政策を定める限りにおいては、その目的を実現するための、在来とは異なる観点に立って、内閣の権限の限りにおいて、積極的な施策の調整、勧告、指示を行い得る常設の機関を設けて、各省庁における施策の実施の確保を期すべきである。過去の道路交通の歴史を顧みるとき、前述のような機能を果たし得なかったところに問題があったと思われる。
  次に、対策の実施について、その実施経過と結果についての評定の問題である。極めてむつかしい問題であり、その行い方によっては弊害の生ずることもある、したがって、慎重に考えなければならないが、なおかつ、結果の評定は行わなければならない。過去の道路交通の歴史を顧みると、対策の実施結果の評定が厳しく行われないまま、終わっている事例が決して少なくない。正確に、厳しく評定が行われていれば、その結果が必ず次の対策に反映されることになる。国として基本政策の策定においては、対策の実施結果の評定ということを取り上げるべきである。

B 第3は、道路交通の対策の実施のための財政措置の問題である。
  昭和30年代は、モータリゼーションが急速に進展したときであるが、その進展に対応して執るべき措置は多々あったにもかかわらず、財政措置がこれに伴わなかったためその実施ができないかまたは不十分のため、それが交通事故の防止対策の不備になったと考えられる例は多々ある。他方、例えば、屡々例として挙げている安全施設に関する緊急措置法に基づいて、財源措置が定められ、交通安全のための施設が整備されるにしたがって、交通事故の死亡者が継続して減少したという例もある。
  過去の道路交通対策を回顧すると、とくに、経済の高度成長が推進されていた時代は、そのための経済政策が優先して、道路交通に対する財政措置などは、殆ど顧みられることはなかった。このことは、昭和39年3月に提出された、交通基本問題調査会の答申が明確に指摘しているところである。如何にすぐれた対策を樹てても、財政措置が適切にとられない限り、“画に描いた餅”に過ぎない。昭和30年代は、そういうような状態であった。このようなことがひずみを生じさせる素因になり、さらに、新たなひずみを生じさせることになった。
  国として策定する道路交通政策については、各省庁が実施する対策についての財政上の裏付けの根拠を明らかにしておくべきである。

第3 交通警察についての提言

1 昭和30年頃、道路交通の事情が急激に悪化し、交通事故が増加して多数の死者・傷者を出すようになり、政府は、その対策のため、政府内に交通事故防止対策本部を設置して、対策を検討して交通事故防止対策要綱を決定した。その頃、交通警察は、組織、体制共に極めて不備であった。要綱によって警察に求められている任務は広範囲に及んでおり、このため、組織の確立、任務の執行方策等を検討しなければならなかった。当時の警察の実情から言えば、それらの作業は、新しい交通警察の創設というべきものであった。その創設の作業は、昭和35年の道路交通法の成立によって一応の集成を見たといえるであろう。

2 平成時代に入って、わが国は、経済、社会の情勢に大きな変化が起こり、これに対応するために、各般の政策の転換が模索されることになった。道路交通についても、道路及び運輸交通のそれぞれの行政分野で、在来の考え方、及び施策の方向に大きな転換が検討されはじめた。それは交通警察もまた同様である。IT革命の下で、道路交通に関して、ITS構想が関係省庁で検討されたことは、すでに述べた通りである。そのITS構想が論ぜられる中で、交通警察の方策に新しい分野が開かれようとしている。そのようなことを含んで、今、在来の交通警察のあり方に大きな変革が起ころうとしているように思われる。もし、昭和30年代前半が新しい交通警察の創設の時であったとすれば、現在は、第二次の新しい交通警察の創設とも言える程の改革が行われているときである。そこで、そのようなことを前提にして、若干の見解を述べて提言としたい。

3 提言の第1 交通警察の運営についての考え方を明確にすること
  道路交通について警察の責務としてされているのは、「交通の取締り」(警察法第2条)である。道路交通法は、その目的を「道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図り、及び道路の交通に起因する障害に資する」と定め、その目的を実現するための任務の規定を設けて、国家公安委員会及び都道府県公安委員会(以下警察機関という)がその主務行政機関であることを明らかにしている。この二つの法律の定めるところによって、道路における交通事故、交通の安全・円滑(交通安全教育等及び渋滞等)、交通公害等について、「交通の取締」という警察の責務(権限)の限度内でその職務を行うのが、交通警察の任務であると理解される。
  この任務は、道路交通に係る客観的な諸条件の変化に対応して、その執行の分野が広がり、それにともなって、「交通の取締」という責務も、概念上その範囲が広がってきたと考えるべきである。
  道路交通法の目的に定められている事項と同様のことは、道路行政又は運輸交通行政においても、それぞれの職責の中にあるものであるが、従来は、どちらかといえば、そのような職務については、二次的に考えられることが多かった。このことは、既述の道路審議会又は運輸政策審議会の答申及び建議の中でも述べられているところである。ところが、昭和年代末期から平成年代にかけて、経済事情及び社会情勢の変化に対応し、また、安全で豊かな生活をのぞむ国民の要請に応えるという視点に立って、道路行政においても、運輸交通行政においても、それぞれの政策を再検討するという傾向が強くなって来た。
  現在公表されている資料によって見る限り、道路交通に関しては、道路行政も、運輸交通行政も、交通警察行政も、その政策の方向が相似たものになり、その施策の手段、内容は異なるけれど、目標は、同じところに向けられているように推察される。平成8年8月、警察庁、建設省(当時)、運輸省(当時)、通産省(当時)、郵政省(当時)の5省庁の共同の検討作業による「ITS(高度道路交通システム)推進に関する全体構想」が策定されたのもその一例である。この構想は「最先端の情報通信技術を用いて、人と道路と車を一体のシステムとして構築し、安全性の向上、輸送効率の向上、快適性の向上を達成し、環境保全に資する高度道路交通システムの推進を図る」ことを目的としている。
  このITSの構想に見るように、道路交通について、「安全性の向上、輸送効率の向上、快適性の向上、環境保全」ということが国の政策の重点として考えられるようになっている。しかしてここに掲げられている項目には、在来、交通警察が主任務としている「道路の危険防止、交通の安全と円滑を図ること、交通公害の防止」などが同じ趣旨の下に大巾に包含されている。
  従来、道路交通については、交通事故防止ということが国の政策及び施策の重点とされ、結果的には、警察による交通取締りにその成果を期待するということが多かった。ところが、IT革命が契機となって、政府関係各省庁の道路交通についての政策の考え方に大きな転換が考えられるようになり、各省庁は、それぞれの行政分野の機能を通して、目標の共同化を図り、総合的な成果を挙げることに政策の方向を定めることになった。ということは、今や道路交通については、関係行政機能を総合して、次元を高めたスケールの大きい、包括的な政策及び施策が考えられるようになったということである。
  そこで、交通警察としても、狭義の取締り概念ではなく、そのような総合的、包括的なスケールの大きな道路交通の政策の中で、自らの果たすべき行政の分野について慎重な検討を行うとともに、そのような政策の中における交通警察のあり方、考え方を確立するということが極めて肝要である。
  そのような検討の段階において、関係の行政機関の間で、職務の範囲権限等で、調整を要することが、生じて来ることがあると思う。このようなことは、過去の歴史の中で、少なからず、関係者は体験していることである。
  このような場合、その歴史の教訓は、関係行政機関の間で、既存の権限に固執して、大局の判断を誤ってはならないということを教えている。その誤りを冒さないためには、調整のための論議を通じて、相互に共通した認識を導き出し、その認識に基づいて共通の考え方(理念)を作り上げ、関係機関が一体となって、それぞれの行政を展開することを考えることである。寛容と忍耐は何れの場合も大事な心構えである。

4 提言の第2 第一線の交通警察官の養成と確保について
  如何に、交通警察の運営が科学化され、科学的な装備施策が充実しても、道路交通の現場からそこ勤務する交通警察官を欠いたり、廃止することはできない。道路交通は究極するところは、人と人の関係である。交通事故は、人が起こして、人が被害を受ける災害である。
  道路交通の現場にある交通警察官は、法令違反者を取り締まる取締官である。取締りは、冷静、沈着、かつ公正、公平でなければならない。交通警察官は、交通の指導者である。思いやりと厳しさが指導の原則である。交通警察官は交通する者の保護者であり、補導者である。優しい心と思いやりが、人の心にひびいてはじめて、保護や指導の成果が出るのである。交通警察官は、すぐれた教養と豊かな経験を合わせもった人格者でなければならない。
  街頭に立ち、又は白バイを運転し、パトロールカーに乗車して道路を巡回する交通警察官には、以上述べたような任務を行い、その任務を行うにふさわしい資質を必要とする。このような交通警察官が道路交通の現場に配置されて、はじめて、交通事故の防止も、安全円滑も全きを期することができるのである。どのようにすぐれた装備も、施設も、人の心を知り、人の心に反応することはできない。
  従来から、交通警察官の訓練には意が用いられ、実行されて来ているが、系統立った教育計画によって交通警察官の養成を行うというところにまでは至っていないのではないか。交通警察官には、一般的な教養のほかに、心理学、救急医学等の知識も必要である。即ち、交通警察に必要な諸条件を備えた交通警察専門官を養成しなければならない。新しい時代の交通警察の最も重要な方策は、すぐれた専門交通警察官をを養成し、道路交通の現場に、そのような専門官を確保することである。
  昭和の初期、はじめて交通整理に従事した警察官が、昭和38年に退職するまで、ただ一筋に、交通整理に従事してきた人がいる。その間、彼は、当時一般的には稀有であった自動車の運転免許を自費で取得し、人力車組合に頼んで人力車を引いて、車夫の体験をし、馬方に頼んで、荷馬車を引いて、馬と馬方の双方の呼吸を学んだという。その人は、このように、「自ら交通整理の方法を体系的に整え、かつ、経験を以て学んだ」ということを退官のときに報告している。歴史が語る交通警察官の養成の一つの実例である。

5 提言の第3 交通安全教育と交通安全運動について
  現在、総理府(当時)及び警察庁の資料を見ると、交通安全教育及び交通安全運動についての政策、施策、指針は、殆ど完全と言ってよい位に整備されている。かつて、警察機関を中核として、交通安全運動が行われていた頃に比べると、天地雲泥の差といってよい程である。にもかかわらず、道路交通における交通事故の発生の状態は悪化しても、よい方には変わらないし、交通秩序という点においても、暴走族、無謀運転、道路を遊び場のようにして自動車を運転する者はむしろ増加している傾向がある。交通安全教育、交通安全運動の体系は精緻を極めているが、国民運動として盛り上がるものに何か考えなければならぬものがあるのではないか、このことについて敢えて提言する。
  年間1万人の死者が出、100万人の負傷者が出る。その負傷者の中には、その後死亡するものもあれば、重大な身体障害を後遺症として残す者も数多くある筈である。さらに、その死傷という犠牲によって一家の悲劇が生まれる例も決して少なくない。こういう状態がすでに、恒常化していることに注目しなければならない。このような状態の恒常化は、国や公共団体の施策だけでは、防止の徹底を期することはむずかしい。これは国民の中から盛り上がる運動の力に期待する以外にはない。現在の政策や施策は、端的な表現に過ぎるとは思うが、国、地方公共団体等が、国民に押しつける形のものである。「自分の命は、自分の力で守る」という国民の自覚による国民運動の展開でなければならない。
  かつての公害問題が被害者の声からはじまって、国民運動にまで発展したことが、「環境の保全」という国の政策の基本にまでなったのである。例は適当ではないかも知れないが、オウムという教団に対する反対は、地域住民の自発的な運動である。
  交通安全教育、交通安全運動の中核的な行政機関である警察としては、このことを考えて、“1万人の死者が出、100万人の負傷者が出ることが恒常化している”状態について、地域住民とともに考え、ともに策を練り、先ず、第一に地域住民の自発的な意思による運動を引き起こすことに交通安全運動の原点を考えるべきであろう。

6 提案の第4 運転免許制度について
  昭和35年6月に、道路交通法が制定された。その法案の検討の段階で運転免許制度について多角的な論議が行われ、免許の法的性格、免許の年齢、免許の有効期間、免許の行政処分等が論議の対象となった。また、国会において、法案審議の過程で、行政処分、免許年齢、免許証の有効期間等が論議され、これらの一部については、付帯決議が付けられている。このような法案審議の過程における論議を経て、新しい道路交通法の下で、運転免許制度の整備が行われた。
  しかし、その後も、運転免許については、相次いで新たな事情が生じ、また、新たな方策を加える必要が生じ、現在まで度重なる改正が行われている。その内容もさることながら、改正による法条の増加も、法制定時に比べると、数倍に達しているのではないか。
  運転免許について、その保有者数の推移を見ると、道交法の制定された昭和35年では1,072万人で、当時の人口の10%弱であったが、平成13年の時点では、約7,800万人で人口比で70%近いものになっている。免許年齢に達しないもの及び高齢者を除いて考えると、国民皆免許といってもよい位である。免許保有者が増加するということは、その免許の更新者の増加であり、また、行政処分の対象者の増加の原因にもなる。
  運転免許については、前述の道交法制定当時から論議されている問題で、なお、検討して解決すべきことが残存している。現在、運転免許事務のの殆ど全部は、都道府県公安委員会の業務として委任されており、運転免許は、都道府県公安委員会が、それぞれ、運転免許証を交付して、行うことになっており、いわば地方免許である。これに対し、国の免許とすべきではないかという意見がある。
  国会の審議の際に屡々論議され付帯決議が付されている行政処分の斉一ということも、国の免許ということになれば、当然に、実現することができるであろう。また、国際免許との関係からも、国の免許である方がよりよいのではないかという見解もある。次に都道府県公安委員会の運転免許事務の中、運転免許試験、運転免許証の交付事務、更新の事務、国際免許の処理等は、そのための特別法人を設けて、これに業務委託をしてはどうかという見解がある。膨大な事務量の処理の合理化という観点からも十分に検討に値する課題であるといえないか。
  運転免許制度の更なる整備を図り、その運用の基本を明らかにするため、道路交通法の特別法として、運転免許法を制定すべきではないかという見解もある。
  新しい時代に向けての道路交通の政策の一環として、自動車の運転免許制度の整備充実を検討すべきである。現行制度が定められて以来、すでに40年以上を経過しており、その間に、運転免許に係わる諸条件には大きな変化が生じている。とりわけ、国民皆免許というような他の如何なる行政分野でも見られない免許事情は、十分に検討に値するものであると考える。

道路交通政策史概観論述編別編 道路交通施策への若干の提言第3章 提 言


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