Editor: Y. Kobashi (小橋康章), All Rights Reserved.
Date : 2010年1月29日(更新); 2009年8月18日(更新); 2009年3月9日(更新); 2008年7月22日(更新); 2008年2月14日(更新); 2007年12月17日(更新); 2007年9月19日(このサイトに移動); 2007年8月2日(更新); 2001年8月10日(作成)


意思決定名言集


「名言集」はちょっと大げさで「気になる言葉」くらいなんですが...

  1.  格言や名言は、名将たちが個別の問題に直面して考えたことを短く適切に言い表したものであり、それを普遍的な原則と考えるのには問題があるとしても、格言の真意をつかみ、その適用の方法を知る者は、瞬時に決断する能力を持つことができる。
    (松村劭(2001),「名将たちの戦争学」,文春新書, p.4. 2001/08/10 収録)
  2. ...セキュリティを議論する際の私の持論は、消費者の問題意識の高さを過小評価すべきではないというものである。多くの消費者は、ちゃんと自分でリスクを判断しているのだ。そのたとえ話として「宅急便と一万円」の話をよくする。
     たとえば母親が、田舎から都会に出ている子供へ衣料品や食べ物を宅急便で送るときに、そっと一万円くらいの現金を忍ばせることがある。そうする母親は、宅急便では現金を送ってはいけないことを知らないのかというと、ちゃんと知っている。いわば確信犯的だ。...
     ではなぜ、宅急便で現金を送るのか?
     それは、母親が利便性とリスクを天秤にかけて、それで利便性を取るという判断をしているからだ...。
    ...この母親は自分の頭の中でどれくらいの頻度で問題が生じ、それは自分の許容範囲内かどうかを感覚的に計算しているのだ。しっかりとしたリスクマネジメントをしているのである。
    (内田和成(2008),「スパークする思考:右脳発想の独創力」(角川oneテーマ21 C-158),角川書店,pp.180-181. 2010/01/29 収録)
  3. ...例えば、今ここにいるあなたが私の話にうなずいています。それは私の話を聞いていることを積極的に行動で示しているということです。そして仮に私が「お腹もすいたし、何か食べに行こう。どう?」と提案すると、あなたは「はい、いいですね」となるべく元気に、そして間を開けないように応えるでしょう。それは私たちの礼儀だからです。
     オーストラリアでは、アボリジニは「ちょっと鈍い」という言い方をされます。例えば、「一緒に食べに行こう」と提案すると、彼らはたいてい「ええっと、ええっとどうしようかな、うーん、いいかもね」と決めるのに時間がかかるからです。だからつい「どうしたんだ、こいつ」と思われてしまうのですが、実は彼らの文化では、答えるまでに時間をかければかけるほど、聞かれたことについて考えれば考えるほど、相手に敬意を示した行動であることを意味しているのです。
     たったこのことを学ぶだけで、私のアボリジニに対する接し方はまったく変わりました。今は彼らがそうやって時間をかけるのをじっと待ちます。それが軽蔑とか知力の問題とかと全く関係ないと分かったからです。
    (バズ・ラーマン監督(映画「オーストラリア」)のインタビューから
    http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/heather/h_review/20090302et06.htm
    2009/03/09 収録)
  4. 本書を締めくくるにふさわしいことばとして、オーストリアの経済学者ロバート・ディクソンの、次の一節を引用しておきます。
    「不確実性が意思決定に関与するのは、未来が存在するからというよりは、過去が今も、そしてこれからもずっと存在し続けるからである。われわれが未来の虜となるのは、われわれが過去に騙されるからである」
    (小島寛之(2004),「確率的発想法」(NHKブックス991),日本放送出版会,p.230. 2007/08/02 収録)
  5. 非常に高度な直観力が求められる意思決定の局面において、最も大切なことは「いかなる選択肢を選ぶか」ではありません。最も大切なことは「いかなる心境で選ぶか」なのです。 ...
     では、重要な意思決定においては、なぜ、「心境」が大切になるのでしょうか? ...
     それは、苛立ち、焦り、不安、恐怖などのエゴに振り回され、騒々しい心境で意思決定を行ったときには、直観力が曇り、誤った判断に流されてしまうからです。これに対して、「無我夢中」「無心」の心境にあるときには、不思議なことに、直観力が閃くからです。
    (田坂広志(1999),「意思決定12の心得」, pp.68-69. 2008/02/14 収録)
  6. 『易』はリスクの原因を行為者の心理に求めるのである。正しい行為を遂行することができ、またそれを遂行するのに十分な力量・能力があるひとでも危険な場合がある。それは強引さである。
     『易』は、危機を前にしたひとに、柔順に、そして柔和に行為せよという。柔和な態度で、十分な力量をもって、しかも強引に陥ることなく行為せよ、と教えるのである。
    (桑子敏雄(2003),「理想と決断:哲学の新しい冒険」,日本放送出版協会, p.215. 2003/10/05 収録)
  7. 人間は願望したことをつねに実現できるとは限らない。理想を実現するためには、理想への手段を見いだす思考能力が必要である。思考が実行可能な手段にまで到達したとき、その手段は、選択の対象となる。手段としての行為を選択することはできるが、願望の対象を選択することはできない。手段を選択する能力は、行為をたくみに導く聡明さであるが、ひとがどんな願望をもつかは、人柄によって決まるのである。
    (桑子敏雄(2003),「理想と決断:哲学の新しい冒険」,日本放送出版協会, p.101. 2003/10/05 収録)
  8.  「決定」というのは、本質的に決定者の主観的なもののはずである。つまり、畢竟、評価はだれか個人の判断なのだ。
    (金出武雄(2003),「素人のように考え、玄人として実行する:問題解決のメタ技術」,PHP研究所, p.276. 2003/09/03 収録)
  9. お客様から何かを頼まれた時は、必ず「イエス」で答えるのが基本。はじめから「ノー」と言ってしまったら、その時点でサービスは終わってしまいます。つまり、「ノー」ではじまるサービスなんて絶対に存在しないのです。
     さて、「イエス」でとりあえず受けるとして、問題はその後です。お客様の相談内容を聞きながら、素早く対応策を考えなければなりません。それがどうしても難しいようであれば、「イエス」の後に「バット」とつづけ、思いついた代替プランをお客様に提案します。... ここでサービスマンが問われるのは、お客様に代わりのプランをいくつご提案できるかです。そのためには日ごろから、常に頭をやわらかくする訓練をしておかなければなりません。
    (蔵田理(2007),「接客のプロが教える上客がつくサービスつかないサービス」,アスコム,pp.104-107. 2007/12/17 収録)
  10. リスクについて考え、語るときには、確率ではなく頻度を使え
    (ギーゲレンツァー(2003),「数学に弱いあなたの驚くほど危険な生活」, p.17. 2007/07/31 収録)
  11. 野生環境ではそうした危険が全く制御されていないために,いつ何時その一つが自分の身辺に出現しないとも限らなかった.もし出現したら,個体保存のためにただちに何らかの対処行動に出なくてはならないが,その対処行動の選択にあたっては,何はともあれ「素早い」ことが何よりも必要であったに違いない.とくにその危険の源泉が意図的な敵である時,この際『最適の対処行動は何か』などとのんびり考えていたら,それこそその答が出る前に敵の方が答を出してくれることになっただろう.
    (戸田正直(1992),「感情:ヒトを動かしている適応プログラム」,東京大学出版会,p.7. 2007/05/09 収録)
  12. 小さな集団を意思決定プロセスに組み入れるのなら、そのメンバーの意見を集約する仕組みがなければそんなことをしてもまったく無意味だ...。諮問のためだけにチームをつくるのでは、そのチームが持っている集合的な知恵といういちばんの長所を殺しているのと同じだ。
    (スロウィッキー,J.(小高尚子訳)(2006),「『みんなの意見』は案外正しい」,角川書店,p.208. 2006/12/06 収録)
  13.  人間は、ルールに基づいて『正解』を求める人工知能とは違う。何が一番よいのか判らない不確実な世界の中で、自分の身体を使って動き回り、判断し、決断を下し、行動することで、人生を作り上げていく。
     新しいものを生み出す創造性は、そのような『直観に基づいて』生きる力と直結している。答の決まった問題ばかりをやったり、徒にルールに拘泥するのでは、まさに出来損ないの人工知能である。自分の身体を使い、直観を働かせ、決断し、行動するときにこそ、人間はもっとも創造的になることができるのである。
    (茂木健一郎(2005),「脳と創造性:『この私』というクオリアへ」,PHP, p.60. 2005/06/14 収録)
  14.  英語圏では『最初のペンギン(first penguin)』と言えば、勇気を持って新しいことにチャレンジする人のことを指す。そのような概念、それを表現する言葉があるということは、それだけ、不確実な状況下で勇気をもって決断する人が賞賛される文化があることを示している。
     未来が見渡せないままに不確実性の海に飛び込むというのは、創造性の発揮において、人間がまさに行っていることである。創造的な人間は、不確実な状況下で海に飛び込むという『決断』を下すペンギンと、生物の進化の歴史を通してつながっている。
    (茂木健一郎(2005),「脳と創造性:『この私』というクオリアへ」,PHP, p.75. 2005/06/14 収録)
  15. 自己愛型のライフスタイルというものが、自己決定権に重きをおき、自分の意志と選択によって生きることを意味するのであれば、最後の締めくくりのライフイベントである死において、偶然や外因に任せた自然死ではなく、安楽死や自殺という自主的な選択に行き着くことは、論理的に極めて首尾一貫しているとも言えるのである。
    (岡田尊司,「自己愛型社会:ナルシスの時代の終焉」(平凡社新書271),平凡社,2005. p.140.2005/06/14 収録)
  16.  老熟した小兵衛の思案は、おのれでおのれのこころのうごきまでも、操作することが可能であった。
     自分がしてよいことと、しなくてもよいことが、たちどころにわかり、すぐさま行動へ移すことができる。
    「年をとるとな、若いときのように手足はきかぬ。なれどそのかわり、世の中を見る眼がぴたりと定まり、若いころのように思い迷うことがなくなる。これが年の功というやつで、若いころにはおもってもみなかった気楽さがあるものよ」
    (池波正太郎,「剣客商売」, 新潮文庫,1985, p.219.(『雨の鈴鹿川』より)2005/04/20 収録)
  17.  意思決定の選択肢を評価する段階での私のアドバイスは、多ければ多いほどよいということだ。どんなに多くの選択肢を探し出しても、最終的な決断は選びだした選択肢の中での最善策よりもすぐれたものになるはずがない。だから選択肢を増やすこと、選択の幅を広げるよう創造力を発揮することを勧めるのだ。
    (ロビンズ,S.P.(清川幸美訳),「もう決断力しかない:意思決定の質を高める37の思考法」, 2004, p.208. 2005/03/14 収録)
  18. これまでの調査の結果をみるかぎり、わたしたちはオプションが一握りしかなく、じっくり吟味できるときでさえ、まちがいやすいようにできている。そして実際、わたしたちが日々向き合う決断の数と複雑さは、増幅しつづけている。すべての決断をじゅうぶんに理解して正しく判断するには、時間ないし知識がどうしても足りない。決断する場面が増え、オプションの幅が広がるにつれ、正しく決断するという作業は、ますます手に負えない負担になっている。
    (シュワルツ,B.(瑞穂のりこ訳),「なぜ選ぶたびに後悔するのか:『選択の自由』の落とし穴」,ランダムハウス講談社,2004, p.92. 2005/03/14 収録)
  19. 自分の決断や選択や行動が、みんな、本当は他人の命令に従うような、または、他人にあやつられているかのような、よそよそしい追体験に過ぎないと自覚するより、「意図」は行動の始まりであり、それは自分の「意思」が勝ち取ったものだと錯覚した方が、人は自分の力で生きている感じがする。
    (前野隆司,「脳はなぜ『心』を作ったのか」,筑摩書房, 2004, p.89. 2005/03/08 収録)
  20. [「知情意」の]「意」(volition)は意図や意思決定をする働き。考えをまとめて話したり、行動したりする、ドライビングフォースだ。
    (前野隆司,「脳はなぜ『心』を作ったのか」,筑摩書房, 2004, p.18. 2005/03/08 収録)
  21. 意思は、意志と思考を組み合わせて用いられている言葉です。意志は意欲と志が組み合わされた言葉です。
     したがって、意欲と志をもった人間が、状況を把握して思考し、ここまでは到達できる、あるいは到達してやるぞ、と決めたのが決定目的ということになります。冷静な判断力と熱い志が求められるわけです。
    (中島一,「意思決定を間違わない人の習慣術」(KAWADE夢新書),河出書房新社, 2003, p.61. 2005/03/08 収録)
  22.  覚醒を経たムスリムは、社会の進歩を促す人間の力を認めない。その力の源泉が人間の理性から導かれる叡智だということを認めないのである。彼らにとって、社会とは進歩するものではない。正しい道というものは、神によって下された規範であって、イスラームが誕生して以来、変わるものではない。
    (内藤正典,「ヨーロッパとイスラム:共生は可能か」(岩波新書905),岩波書店, 2004., p.197. 2004/12/19 収録)
  23.  ムスリム移民たちは、絶えず、自分がイスラームの正しい道にそって歩んでいるのか、誤った道にふみはずして歩んでいるのかということに不安を感じている。そのために、ヨーロッパのような異文明の社会に生きるムスリムは、どうしても、善悪の識別に敏感になる。
    (内藤正典,「ヨーロッパとイスラム:共生は可能か」(岩波新書905),岩波書店, 2004, p.198. 2004/12/19 収録)
  24. ... ヨーロッパでは常識として成り立つ「個人」の観念が、ムスリムの社会では成り立たない... 。
     イスラームの「個人」の観念がないというのではない。イスラーム的な「個人」とは、神に従う一人の人間としての個人であって、とことん自分の頭で考え、それに従って行動する個人ではないのである。個人の自由意思は、神の定めとしてのイスラーム的規範を超越することはありえない。
    (内藤正典,「ヨーロッパとイスラム:共生は可能か」(岩波新書905),岩波書店, 2004, p.167. 2004/12/19 収録)
  25.  所属する集団において何らかの決定をする際には、自分が属する「世間」との間で何らかの形で了解を得ていなければならない。それをしないで自分一人で決断したりすると、その結果が裏目に出た場合に周囲から何の援護も得られないことになる。しかし前もって周囲と相談した結果の決断であったとしても、その結果がよくない場合に「世間」が共同責任をとってくれるわけではない。それどころか、「世間」の常識に反する行為をした場合には、「世間」はよってたかってあげつらうであろう。
    (阿部謹也, 「学問と『世間』」, 岩波新書, 2001, p.106.2001/08/10 収録)
  26. ▼一・二・一 日本人は利益を追求するよりも、不利益を避けることを重視して行動する。...
    ▼一・三・一 日本人は状況への適応を第一として行動する。
    ◇状況とは、他人や世間、あるいは自分の関係する集団のあり方を「自己本位」にとらえたものをさす。
    ◇日本人は自分のまわりの状況を漠然と「世間」という言葉でとらえている。企業の中の人間にとっては、まず念頭にある自分の状況は「会社(わが社)」である。...
    ◇日本人は個人である自分と、自分がその中におかれている状況とを「ひとつながりになった関係」としてとらえている。つまり、この「自分−状況」の関係は、一定の容器の中で粒子が自由に動きまわっている(ただし容器の外には出られない)というモデルではなく、容器の中に張りめぐらされたネットワークの結節を自分と見るようなモデルで説明される。
    ◇このネットワークには「ゆるみ」があるので、個人がある程度は自由に動くことができるけれども、無理に動いてネットワークを切断するようなことになってはならない、と個人は考えている。
    ◇これが、基本的には状況に身をゆだねるという態度をもたらす。状況を変更しようとすることは、コスト、危険がきわめて大きい。したがって、日本人は普通与えられた状況を変えようとはしない。→一・二・一
    ▼一・三・二 日本人は、状況を「与えられたものとして受け取り、受け入れる」ことを基本原則とする。日本人はいわば<>(状況受容者)である。
    ◇確立したルール、慣行、制度などは変更しがたい状況そのものと見なされる。 ◇利益を求め、不利益を避ける行動は、この与えられた状況の中で問題になる。日本人の功利主義は「状況−功利主義」(situation-utilitarianism)なのである。...
    (竹内靖雄,「日本人の行動文法」,東洋経済新報社,1995, pp.18-26. 2001/08/10 収録)
  27. ▼四・一三・二 集団の意思決定においては「話し合い」が何よりも重視される。これを欠いた意思決定は変則的なもので正当性に欠けると見なされることが多い。...
    ▼四・一三・三 集団的意思決定は何らかの形で全員の意志を反映したものでなければならず、全員の意思が十分「投入」された上での「産出物」でなければならない、と考えられている。したがって、十分な「話し合い」が行われたという納得が得られる必要がある。... (竹内靖雄,「日本人の行動文法」,東洋経済新報社,1995, pp.214-226. 2001/08/10 収録)
  28.  一般的には、組織の中で、ある地位につくと権限が与えられ、影響力を行使できると信じられている。管理者になれば、責任ある地位につき権限も与えられたのだから、部下を指揮統制するために意思決定し、命令を出し、管理して結果を出させるべきだし、部下は当然命令にしたがうべきだとされる。
     しかし、日本のデータベース組織の中の関係は、必ずしもこのいい方通りに動いているわけではない(p.156)。
    ... データベース組織における制度面での上司の権限は、多くの場合、下から上がってきた意見や文書に対して「承認、追加修正、却下ができる」といったものである。制度や規程で決定権限を定めている場合のほとんどが、以上のような権限に限定されている。
     どの地位についても、自分一人で発案し、決定し、部下に命令できる裁量範囲については、とり決めがないといってもよい。つまり、制度的には、下から上がってこないと決定できない共同決定の仕組みになっている(p.157)。
     どの地位にあれば、どの範囲レベルのことを自分で発案し、下に命令できるかは、制度で定められたものではなく、その組織の中での人のかかわりあいを通じて、累積されたデータベースの中に... メドが形成されている(p.158)。
    ... ある案件が意思決定されるプロセス、つまり下から稟議書があがってくるプロセスとは、組織的なデータベース形成のプロセスなのである(p.160)。
    (井上正孝, 「人はデータベースである:日本型組織の原動力」, 市井社, 1993, pp.155-160.2001/08/10 収録)
    データベース・アナロジー
    ... 日本では、対話で使われた言葉の意味は、やりとりをしている当事者同士の間に共有された情報累積の中から、意味を汲みとるしかない.これはもはや省略ではなく、コンピュータを使った情報検索システムであり、データベースというモデルを、使わなければならない... (p.58)。
    ... 日本人の対話とは、あたかも二台のパソコンが、共有するデータベースを前提にして、やりとりしているようなものである(p.59)。
    ... 表面的に見ると、そのときそのときに、無数のテーマにかんする非常に断片的な情報を、同時並行的にまったく脈絡なく、しばしば、うんと時間をおいて、きわめて断続的にやりとりしていることがわかる(p.63)。
    日本語は文法という論理機能ではなく、キーワード機能をはたしている。
     言葉は文法通りに、言葉の論理性としての意味を完結させる必要はない。データベースのキーワードとしての機能がはたせれば、十分なのである。情報の共有部分であるデータベースを前提として、言葉をキーワードのように使うやりとり、これがデータベース型やりとりの一般的な構造である(p.65)。
    (井上正孝, 「人はデータベースである:日本型組織の原動力」, 市井社, 1993, pp.58-65.2001/08/10 収録,付:この本の肯定的紹介否定的書評)
  29.  ナヴィゲーションの地図読みを身に付けることによるもう一つのメリットが、問題解決や情報処理能力、意思決定といった、現代の生活に不可欠なスキルを高められることである。決められた目的地に向かうために適切な目印を取捨選択したり、安全で快適なルートがどれかを考えたりすることが、ナヴィゲーションでは要求される。そこには総合的な情報処理や意思決定が求められる。
    (村越真,「地図が読めればもう迷わない:街からアウトドアまで(岩波アクティブ新書97)」, 岩波書店, 2004, p.xii. 2004/12/08 収録)
  30.  政治家にとって最も大切な仕事は何だろうか?
     国民が安心して活動できるような土台を作ること、というのが私の答えだが、それを行うに際して最も重要な心構えは「決断する」ことなのである。
     政治家とは「決断する」職業である、と言い切ってもあながち的はずれではあるまい。
    (井沢元彦,「逆説の日本史8 中世混沌編」, 小学館文庫, 2004, p.156. 2004/06/15 収録)
  31.  消費者は広告を見較べて、モノを選択し購入します。結局は広告で買っています。Aの広告とBの広告を相対比較して、モノを選択しているにすぎないのです。自分を起点とする、何かをしたい、そのためにモノを選択する、という絶対的選択ではないのです。
     にもかかわらず、モノを買ったのは自分の心からの選択だ、と思い込んでしまっているところに、後々の問題が含まれているのです。
    (松岡英輔,「『挫折しない整理』の極意」, 新潮新書, 2004, pp.156-157. 2004/06/02 収録)
  32.  ある行動を、望んでいたことと現実との対立によって起こったものとして捉えると、様々の点が見えてくる。もちろん、中には理想をそのまま実現できる人もいるだろう。求めていた理想とはかけ離れた現実を生きている人、自分の意図とはまったく異なる結果が生じた人もいるだろう。だが、ほとんどの人が、理想と現実の妥協として、一つの決断をしているはずだ。
    (樋口裕一,「ホンモノの思考力」,集英社新書, 2003, p.61. 2003/08/14 収録)
  33.  ある行動をとるということは、二項対立のうちのどちらを選択するかということなのだ。したがって、何かが起こったとき、そこにはどのような二項対立が存在するのかを考える必要がある。その行動、その現象は、二項対立のどちらの側に位置するのか、あることが起こったということは、何が起こらなかったということなのか、...。
    (樋口裕一,「ホンモノの思考力」,集英社新書, 2003, p.70. 2003/08/14 収録)
  34.  記憶が成立し、判断がおこなわれ、生物の行動は判断によって左右されるようになる。これはごく自然の移りゆきのようにみえるが、少なくとも判断が出現したばかりの時期においては、判断の出現は生物の行動に大混乱をもたらす原因となったに違いない。
    (木下清一郎,「心の起源:生物学からの挑戦」,中公新書, 2002, p.121. 2002/11/28 収録)
  35.  心がはじめてあらわれたとき、それが判断と選択という機能をもったために、生物は大きな危機に陥った...。 ... 心というものはもともと危険なものとして登場してきたものであった(p.212)。
    (木下清一郎,「心の起源:生物学からの挑戦」,中公新書, 2002, p.212. 2002/11/28 収録)
  36.  劉邦にはなんの思案もない。
     かれにはつねに献策者が必要だった。たれかが智恵をしぼって何かを言うと劉邦はそれを採用する。献策者が複数の場合は、良案をえらんで採った。そういう選択の能力は、劉邦にあった。さらにそれ以上の劉邦の能力は、ひとがつい劉邦のために智恵をしぼりたくなるような人格的ふんいきを持っているということでもあったろう。
    (司馬遼太郎,「項羽と劉邦(中)」,新潮文庫, 1984, p.230. 2002/09/11 収録)
  37.  経営者が「オレは決断が早いんだ」と、胸を張って得意そうにそっくりかえっている場面にでくわすことがある。私はそんな時には、眉につばをつけるようにしている。だいたい、本当に決断の早い経営者はそんなことを言わないで実行するだろうし、まだまだ自分は遅いと思っているはずだ。
    (吉岡憲章,「潰れない会社にするための12講座」,中公新書ラクレ, 2002, pp.138-139..2002/08/13 収録)
  38. 「二十四時間営業、つまり深夜営業をしていて、夜中になにが売れるか、というと、これがなんと高額の家電製品なんです。... なぜ、夜中に高額の家電製品が売れるか、といえば、夜になると人間、気分が“ハイ”になって決断がしやすいんじゃないか、と思うんですね。 」(深田祐介,「決断」,講談社文庫, 2002, p.135. より,ドン・キホーテ社長安田隆夫氏の談.2002/07/31 収録)
  39. 【トレードオフ】
    意思決定という高給取りの仕事を発生させる元凶。
    (山田英夫,「ビジネス版悪魔の辞典」(日経ビジネス人文庫),日本経済新聞社, 2002, p.66. 2002/07/10 収録)

    【戦略代替案】
    本命の案を通すために、落とされるために考え出された案。通常、本命の案が決まってから、急遽探されることが多い。したがって、「大体案」でよい。

    【評価基準】
    本命の案が決まってから、それを浮上させるために選ばれるモノサシ。
    (ibid., p.69. 2002/07/10 収録)

  40.  ...今日のこの出発日も、「ジャナム・パトリカー」という誕生星表をもとに決められた。それは私が生まれたとき、父が占星術師に頼んでつくってもらったもので、ヒンドゥー教徒なら大抵自分のを持っている。そしてそれを、結婚や新築、転居など、人生の節目の判断に使う。...
     私は占星術に懐疑的ではあるが、別の意味でそれを認めている。愛する父や母が信じているからではなく、何事をするにつけても口を出す親族が多いこの国では、占星術での決定が皆を説得する口実になるからだ。
     話し合いで何かを決めるのは不可能にちかい。そんなことをしたら、誰もが自分の意見を主張して憚らないだろう。だから占星術師が必要になるのだ。
    (M.K.シャルマ(山田和訳),「喪失の国、日本:インド・エリートビジネスマンの『日本体験記』」,文藝春秋, 2001, p.18. 2001/10/24 収録)
  41. I used to be indecisive, but now I'm not so sure.
    Boscoe Pertwee (eighteenth-century wit)
    (Nigel Rees,"", London: Unwin Paperbacks, 1978, 1980, p.55. 2009/08/18 収録)
    • Some people adjusted to the fact of evolution. Others clung to their decision that we'd been created without reference to the other animals. ... People who couldn't be indecisive never made the shift.
    • Invention is destroyed by decisiveness.
    • The fact is, we never need to make decisions. What we need to do is to take action.
    • There's always a better way, a better solution. We act, we make choices. But leave decisions to people who need the psychological comfort they provide.
    (From "Decisiveness"(http://www.uh.edu/engines/epi1432.htm) by Prof. John H. Lienhard, at the University of Houston.2001/08/10 収録)
  42.  本来、人間は、いや人間だけは、自分が将来死ぬことを勘定に入れながら生きるものである。しかし、若い頃や健康な時期は、なかなかこれが実感できない。もとより来るべき死を「実感」できる者などいないのだが、頭で「いつかは死ぬ」と知っているだけなのと、身辺に「この先あまり長くない」徴候を感じ出すのとは、やはり違う。
     ガンになった。しかも進行ガンである(p.164)。...
    ... わたしはまだ還暦にも届かない弱年の身で「この先あまり長くない」存在として毎日を生きていることになる。そうすると、これまでになかった傾向を顕したり、新たな関心を示したりしている自分に気づく(p.165)。
    (頼藤和寛,「わたし、ガンです:ある精神科医の耐病記」,文春新書, 2001, pp.164-165. 2001/08/10 収録)
  43.  作戦の計画は、思いつきの状況判断でするわけではない。筋を通して、自分も他人も納得のできる思考の手順を踏む。そうでないと、作戦の終始を通して「もっとよい考えがあったのではないか?」という不安がつきまとう。
    (松村劭,「名将たちの戦争学」,文春新書, 2001, p.144. 2001/08/10 収録)
  44. 元来、児玉は作戦を練る場合、考えぬいたあげくに二案を残すが、この二案から最後の一案を選ぶとき、つねに巳が両断されるような苦痛があり、いまだかつて自信があって選んだためしがない。その最後にえらぶ一案の成功不成功に国家の存亡がかかっており、しかも両案ともそれぞれ十分な理由がある以上、いわばクジをひくようなものであった。児玉自身、それをクジとよんでいた。
    「智恵というのは、血を吐いて考えても、やはり限度がある。最後は運だ」
     と、児玉はおもっている。そのクジを、児玉は旭日にむかって、
     −−勝ちクジにしてください。
     と、祈っているのである。
    (司馬遼太郎,「坂の上の雲(四)」,文藝春秋,1971, p.70. 2008/07/22 収録)
  45. 二者択一の決断ができない指揮官は、折衷案を採用して失敗する
    (松村劭,「新・戦争学」,文春新書, 2000, p.107. 2001/08/10 収録)
  46.  じっさいに使う写真は何枚もないであろう。だが、真珠のアクセサリーだけは、たくさん用意してきている。
     −−現場でえらびなさい。どんなものをつければいいか、みんな知子にまかせるわ。
     知子の母は、そう言ったのである。
     これは、知子の初仕事といってよかった。
     業者としてはあまり真珠に狎れすぎると、それを身につける一般の人びとと、真珠にたいする感覚にズレが生じるおそれがある。知子は真珠商の娘であるが、これまで商売にタッチしたことがない。その意味で、適役といえた。
     知子があれこれとえらんでいるうちに、そばからのぞいていたモデルも、吸いよせられたように、目をかがやかしながら、
     「これもいいわ。だけど、こちらも....ね、この色、ほんとにうっとりしちゃうわ」
     などと言った。
     知子は、モデルの眼に視線を移した。真珠をえらぶ人の眼つきである。 −−彼女の仕事は、その眼にこたえることでなければならない。
     「まだですか?」
     と、散歩道のほうから、カメラマンが大声で呼んでいるのがきこえた。モデルの顔に、一瞬、追いつめられたような表情が走った。
     「これがいいわね」
     モデルはそう言って、一連のネックレスを指さした。
     「それにきめましょう」
     知子は、ためらわずに答えた。おぼえるべき呼吸の一つだという気がしたのである。
    (陳舜臣,「凍った波紋」,徳間文庫, 1983, pp.21-22. 2001/09/04 収録)


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