Author: Y. Kobashi(小橋康章), All Rights Reserved.


意思決定 vs 意志決定


小橋康章


"decision making" の訳として「意思決定」を使うのが一般化しているが,ま れに「意志決定」をみることがある.どちらが正しいという性質のものではない ものの,「意思決定」と書いた原稿を人に渡すといつのまにか「意志決定」に直 されたり,ほうっておくと両者を一つの文章に混在させる学生がいたりするので, まずどちらの記法が多いのか調べてみた.雑誌論文はみていないが,主な決定理 論関連書籍での用法は付表のとおり「意思決定」が圧倒的に多い.想像するに, "decision theory" が輸入されたとき「決定理論」では「決定論 (determinism)」 とまぎらわしいので「人間がこころに決める」ことを強調するために「おもい」 を表す比較的ニュートラル(ファジィ?)な「意思」を頭につけたのではないだ ろうか. [注 1]

ところが,よくみてみると古い文献には「意志決定」が多いし,そういえば「 ... decision theory のほうは経済学や経営学の方面で通常<意志決定論>と訳され, かなり人口に膾炙している.しかし心理学の術語としては<意志>というものが 一向によくわかっていないので筆者は従来から<行為選択論>という訳語を用い てきた(戸田正直,動的行為選択論. 高木貞二編「現代心理学と数量化」(東 京大学出版会,1972)所載)」という一節があったのを思い出してしまった.  決定したことを実行に移すのは意志の力だろうし,意志と強くつながっている ように思える目的や目標なしに決定を考えるのも妙なものだから,「意志」が意 思決定と深く関わっていることに間違いはないが,「意志決定」としたのではあ まりに「意志」のもつ特別なニュアンスが強く出てしまうので,著者は「意思決 定」を愛用している.こころの働きをともなわない決定(「前線の動きによって 天候が決まる」)や単なる判断と区別するに十分でしかも決定の特定の心理学的 なモデルに深くコミットしないですむのが利点である.繰り返し述べるが,「意 志決定」が間違っているとか,「意思決定」に用語を統一せよとか主張している わけではない.とりあえずは「意思決定」が容認されうる記法であることを納得 いただければ幸いである.

ちなみに英語では昔は "decision taking"という言葉も使われていたように思 う.しかし1993年11月10日現在の調べで,心理学関係の文献データベー スであるPsychINFOでは1967年から1993年までの文献中 "decision making" をキーに発見できるものが7041件あるのに対し"decision taking"は0件,教育関係のERICでは1966年から1993年までの文献中 "decision making" は15325件,"decision taking" は0件であった.わずか に工学系のデータベースであるINSPECにおいて1969年から1993年 までの期間に "decision making" 2445件に対し"decision taking"が20件 あった.後者の用例のうち最近10年間のもの(10件)をさらに調べてみると 9件までがもともと独仏露伊蘭などの外国語(非英語)で書かれた文献である. 原語を英語に直訳した結果かもしれない.

意思決定の研究の役には立ちそうもないデータであるがクイズの問題くらいに はなろうかと思いここに記すことにした.(1996)


2005年3月8日加筆
●Amazon.co.jp で販売している書籍のうち,今日現在の検索で「意思決定」をタイトルに含むもの229点,「意志決定」を含むもの19点.
●Googleの今日現在の検索では「意思決定」という文字列のヒットは1,180,000件,「意志決定」は 167,000件で,約7:1の比率.(単に「意思決定」などをキーワードにするのではなく「"意思決定"」などの文字列として検索した場合)

2005年12月27日加筆
●Googleの今日現在の検索では「意思決定」という文字列のヒットは1,800,000件,「意志決定」は 341,000件.一年経たないうちにそれぞれヒット数が倍増するとともに,比は約5:1と接近(単に「意思決定」と「意志決定」をキーワードにするのではなく「"意思決定"」と「"意志決定"」の文字列で検索した場合).ただし,「"意思決定論"」18,400件に対し「"意志決定論"」570件,「"意思決定理論"」801件に対し「"意志決定理論"」452件.

2007年2月27日加筆
●Amazon.co.jp で販売している書籍(古書を含む)を詳細サーチ.今日現在で「意思決定」をタイトルに含むもの394点,「意志決定」を含むもの49点.

2007年11月6日加筆
●Googleの今日現在の検索では「意思決定」という文字列のヒットは1,960,000件,「意志決定」は 541,000件.「意志決定」が健闘して比は3.6:1とさらに接近.ところが「"意思決定論"」35,600件に対し「"意志決定論"」775件,「"意思決定理論"」14,200件に対し「"意志決定理論"」787件と,こちらは「意思-」が飛躍的に増える.

意思決定 vs 意志決定 付表

出版年 用語 文献
1961意思決定 野村正ほか訳,「日本の経営と意思決定」
1962意思決定 加瀬谷忠美,「意思決定の科学」
1963意志決定 武山泰雄,「経営者の勘:決定的瞬間における意志決定」
1968行為選択 戸田正直・中原淳一,「ゲーム理論と行動理論」 [注 2]
-意志決定 高瀬保,「社会工学入門:21世紀社会への推進力」
1969意志決定 齋藤嘉博,「決定のはなし:情報化時代の意志決定」
-意思決定 日本事務能率協会,「MISハンドブック」
1971決定 宮沢光一,「情報・決定理論序説」
-意思決定 森田優三,「意思決定の統計学」
1972意思決定 西田俊夫編,「ORハンドブック」
-意志決定 藤田忠,「経営意志決定の分析:ベイズ決定理論とその実践応用」
1974意思決定 小野茂監訳(クームズほか著),「数理心理学序説」
1977意思決定 松原望,「意思決定の基礎」
1978意思決定 大山正・藤永保・吉田正昭編,「心理学小辞典」
1980意思決定 佐伯胖,「『きめ方』の論理:社会的決定理論への招待」
1981意思決定 近藤次郎,「意思決定の方法:PDPCのすすめ」
-意志決定 平凡社,「新版 心理学事典」
1983意思決定 大前研一監訳(ブライトマン著),「戦略思考学」
-意思決定 広内哲夫・小坂武,「意思決定支援システム:DSS構築の方法論」
1984意思決定 岩堀安三, 「意思決定のノウハウ:何を基準に戦略を立てるべきか」
1985意思決定 松原望,「新版 意思決定の基礎」
-意思決定, 決断 飯久保廣嗣,「『決断の速さ』の研究」
1986意思決定, 決断 斎藤茂太訳(ルービン著),「決断力の育て方」
-意思決定 佐伯胖,「認知科学の方法」
-意思決定 小路正夫訳(ムーア著),「ビジネスリスク・マネジメント」
-意思決定 刀根薫,「ゲーム感覚意思決定法」
-意思決定 大前義次, 「グラフィック意思決定法」
1987意思決定 佐々木恒男・吉原正彦訳(サイモン著),「意思決定と合理性」
-意思決定 稲葉元吉・吉原英樹訳(サイモン著),「新版 システムの科学」
1988決断 福井次矢,「臨床医の決断と心理」
-意思決定 小橋康章,「決定を支援する」
1989意思決定 平賀譲訳(ウィノグラードほか著),「コンピュータと認知を理解する:...」
-意思決定 藤田恒夫・原田雅顕,「決定分析入門」
1990意思決定 鬼沢武久訳(シュマッカー著),「ファジィ集合:自然言語演算とリスク解析」
-意思決定 中島一,「意思決定入門」
-意思決定 遠田雄志,「あいまい経営学」
-意思決定 国分康孝編,「カウンセリング辞典」
1991意思決定 首藤信彦訳(ジャニス著),「リーダーが決断する時:危機管理と意思決定について」
-意志決定 マーク=ラドフォード・中根允文,「意志決定行為:比較文化的考察」 [注 3]
1992意思決定 戸田正直,「感情:人を動かしている適応プログラム」
-意思決定 吉良直人訳(ブライトマン著),「グループ戦略思考学」
-意志決定 岡本浩一,「リスク心理学入門:ヒューマン・エラーとリスク・イメージ」
-意思決定 門田美鈴訳(ジョンソン著),「1分間意思決定:決断力がつく6つの秘訣」
-意思決定 山下利之,「ファジィ:心理学への展開」
1993意思決定 飯島淳一,「意思決定支援システムとエキスパートシステム」
1994意志決定 瀬尾芙巳子, 「思考の技術:あいまい環境下の意志決定」
1998意思決定 野島久雄ほか訳(アイゼンク編),「認知心理学事典」
-意思決定 廣松渉ほか編,「岩波 哲学・思想事典」
1999意思決定 有斐閣,「心理学辞典」
2002意思決定 日本認知科学会編,「認知科学辞典」
2003意思決定 共立出版,「AI事典第2版」

注 1 1962年に「決定理論の研究」という博士論文を書かれた福場庸さんは後年,「当時“意思決定”という用語または『日本語』がちらほら耳に入っていたように思う.やや記憶が鮮明なのは『意思』または『意志』という言葉にある種のうさん臭さを感じて意識的に意思決定理論というタイトルから最初の2文字を削ったことである.(福場庸,意思決定論の基礎,現代数学社,1993,p.1)」と書かれており,敢えて「決定理論」を選んだ方もいることがわかる. [BACK]

注 2 行為選択論*(theory of decision making) *決定理論という訳語もあるが, 統計的決定理論(statistical decision theory)との混同を避けるため, 行為選択論をとる(p.5). [BACK]

注 3 「意志決定」(decision making, 「意思決定」と記すこともある. 意志と意思とを比較した場合,厳密な違いはないようであるが, 広辞苑によると「意志」の方には「ある行動をとることを決意し, かつそれを生起させ,持続させる心的機能」とかなり詳しい説明があるのに対し, 「意思」についての説明はきわめて短いものである. 心理学的領域においても特別の約束があるようにはうかがえず, 意志の方がより一般的な用語と考えられるので, ここでは「意志決定」と記載することにした)(p.3) [BACK]


参考)日本規格協会,JISハンドブック情報処理1985
 decision instruction  判断命令,分岐命令
 decision table        決定表

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93/**/** 初版
96/02/20 WWW版公開
97/03/06 大山ほか編(1978)追加
99/09/18 野島ほか訳(1998)追加
00/07/22 瀬尾(1994)追加,注を追加
05/03/08 1998-2003の辞典類追加
05/12/27 検索エンジンのヒット数データを更新
07/02/27 野村正ほか訳(1961),加瀬谷(1962),藤田(1972)を追加
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07/11/06 検索エンジンのヒット数データを更新

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