第2章 一般情勢 この期におけるモータリゼーションは次に記す政治・経済情勢等の時代背景のもとで進展した。 第1節 政治情勢  この期の政権は、 いわゆる55年体制のもとで引き続き自民党による各内閣で維持された。 この間、昭和47年5月15日には沖縄が復帰し、 これで日本の戦後の終了をみた。 前期に激しい国内対立をみた日米間の安全保障条約は、昭和45年6月23日に自動延長され、懸案の日中関係は昭和53年に友好平和条約が調印・批准された。  国際紛争としてのベトナム戦争、ソ連軍のアフガニスタン進攻もそれぞれ解決をみ、東西勢力対立を象徴していたベルリンの壁も平成元年に崩壊し、 同年には「冷戦終結」が宣言された。  期末には昭和天皇の崩御があり、元号が平成と改められ、 追って国内において社会党が消滅、 国際的にはソ連邦が崩壊 (平成3年12月)、社会主義体制が敗退し、 中国は改革・開放経済政策に移行する等一つの時代が終った。  これら時代を画した国内外の政治情勢の変化はみられたものの、とくにモータリゼーションの普及進展を阻むものはなく、 結果的にはむしろ進展を促した。  たゞ、 この間には、 春闘のほか時々の政治スローガンを掲げた国鉄を中心とする大規模な交通機関の順法闘争、ゼネストが行われたが、 逆に自動車輸送の比重が高まり、 財政問題を契機として明治以来基幹的輸送機関として機能して来た国鉄が分割・民営化(昭和62年)される等の大変革を見た。併せて都市部における地下鉄の路線延長が見られた。  航空交通の需要増に対して計画された新東京国際 (成田) 空港は、反対派の過激闘争による警察官の殉職、管制塔の占拠破壊等による開港予定の延期等を経て昭和53年5月に開港した。 ほかに、 反体制過激派による爆弾等使用の治安事件が続発したが、上記の政治情勢のもとでの国民生活は概して安定したものであり、 交通事故の多発、交通公害の深刻化等課題を内包しつつもモータリゼーションは着実に進展した。 昭和53年7月30日には沖縄県における通行方法の変更 (車は左) が行われ、 国内の通行方法は完全に統一された。 第2節 経済情勢 経済情勢は、 前期に引き続きその拡大・成長を促進し、 あるいは維持し、 またはその歪みを是正するための各種の経済計画が次表のとおりに策定され、 実行された。  また、これらの経済計画に並行して国土総合開発計画が策定され実行された。  国土総合開発計画のうち、新全総のもと、国土庁が発足し、 都市再開発法、国土利用計画法などが公布されたが、土地ブームが起こり、また、三全総のもとでは、 モデル定住圏(40圏)の決定、 民活法、リゾート法など産業振興に併せて人間環境の見直しも行われ、四全総のもとでは 「全国1日交通圏」の形成を内容とする交通体系(高規格幹線道路網)の整備により、諸機能の東京一極集中から地方多極分散型国土形成など定住と交流を目標とする政策が進められた。 表 経済計画 │ │ │ │計画期間 │ │実質経済成長率 │ │計 画 名 │閣議決定 │内 閣 │ │計 画 の 目 的 ├────┬─────┤ │ │ │ │(年度) │ │(計画) │(実質) │ │中期経済計画 │40.1.22 │佐 藤 │(39〜43) │ひずみ是正 │ 8.1 │ 10.1 │ │ │ │ │(5カ年) │ │ │ │ │経済社会発展 │42.3.13 │佐 藤 │(42〜46) │均衡がとれ充実した経済社会へ │ 8.2 │ 9.8 │ │計画 │ │ │(5カ年) │の発展 │ │ │ │新経済社会発 │45.5.1 │佐 藤 │(45〜50) │均衡がとれた経済発展を通じる │ 10.6 │ 5.1 │ │展計画 │ │ │(6カ年) │住みよい日本の建設 │ │ │ │経済社会基本 │48.2.13 │田 中 │(48〜52) │国民福祉の充実と国際協調の推 │ 9.4 │ 3.5 │ │計画 │ │ │(5カ年)│進の同時達成 │ │ │ │昭和50年代前 │51.5.14 │三 木 │(51〜55) │我が国経済の安定的発展と充実 │ 6強 │ 4.5 │ │期経済計画 │ │ │(5カ年) │した国民生活の実現 │ │ │ │新経済社会7 │54.8.10 │大 平 │(54〜60) │安定した成長軌道への移行 │ 5.7 │ 3.9 │ │カ年計画 │ │ │(7カ年) │国民生活の質的充実 │ 前後 │ │ │ │ │ │ │国際経済社会発展への貢献 │ │ │ │1980年代経済 │58.8.12 │中曽根 │(58〜H2) │平和で安定的な国際関係の形成 │ 4 │ 4.5 │ │社会の発展と │ │ │(8カ年) │活力ある経済社会の形成 │ 程度 │ │ │指針 │ │ │ │安心で豊かな国民生活の形成 │ │ │ │経済運営5カ │63.5.27 │竹 下 │(63〜H4) │大幅な対外不均衡是正と世界への貢│ 3.75 │ 4.0 │ │年計画 │ │ │(5カ年) │献 │ 程度 │ │ │ │ │ │ │豊かさを実現できる国民生活の実現│ │ │ │ │ │ │ │地域経済社会の均衡ある発展 │ │ │ 全国総合開発計画(昭和40年〜概ね平成12年) │ 計 画 名 │閣議決定│内  閣│計画期間(実施期間)│目 標 構 想 │ │新全国総合開発計画 │44.5.30 │佐 藤 │(  〜60) │大規模プロジェクト構想│ │(「日本列島改造論」と調整)│(47.7.14)│(田中) │(44〜51) │(過密過疎の同時解決)│ │第三次全国総合開発計画│52.11.4 │福 田 │概ね10年 │定住圏構想 │ │ │ │ │(52〜61) │ │ │第四次全国総合開発計画│62.6.30 │中曽根 │概ね平成12年を目標│交流ネットワーク構想│ │ │ │ │(62〜 ) │ │  そして、 これらの経済計画、 国土開発計画を上位 (背景) 計画として、後記のようにそれぞれの目標のもとに道路整備計画 (第5次(昭和42〜46年)から第10次(昭和63〜平成4年))、交通安全施設整備計画 (第1次5ヶ年(昭和46〜50年)から第4次5カ年(昭和61〜平成2年))が策定、実行され、道路交通に関する基盤整備がなされた。 しかし、これらの国土開発・地域づくり計画には、人・車・道を束ねた形での望ましい道路交通の総合ビジョンは必ずしも明確には示されず、現象対応という形で推移した。 第3節 技術開発  この期には著しい科学技術、 自動車生産技術の進歩発展があり、 これはモータリゼーションの進展並びに進展に伴う各種障害の防止を支える大きな要素となった。  その主要な技術は以下に示すとおり、エレクトロニクスとコンピューターの技術および道路の建設技術である。  都市部の大量交通を管制するに当たり、車両の動向を感知する車両感知機、交通の現場に即応するようにする信号機及びこれを統合する広域交通管制システムにこの技術が導入された。加えてデジタル方式による情報通信技術の格段の進歩により効果的、広域的な交通処理が行われることとなった。  さらに、これに併せて運転者に対する道路交通情報の提供システムが整備充実された。  また、 無線通信技術の向上開発は、とくにタクシー無線のシステム構築に寄与した。  自動車の性能向上に関してはエレクトロニクス、 マイクロコンピューターの導入による最適制御により、その高性能化と安全性の向上及び省燃費化が図られた。また、 触媒など化学技術の導入により排出ガスに対する低公害化が図られ、その他セラミックス等新素材の開発などにより著しい性能向上が見られた。  道路の新設、 改良に関しては、先端の設計技術により、地形、地質、気候、線形等に応ずる形でなされ、次いで架橋、トンネル掘削、地盤改良、地すべり防止等に新たな施行技術が導入され、大断面シールド機、トンネル用電機集塵機等による高度の機械化、高強度ケーブル、大口径鋼管杭等の強化材の採用、改質アスファルト開発による舗装技術の向上がみられる等日本の国土事情に応じた技術の開発、集成によって、整備がなされた。  このため、この期には本四等の長大架橋、東京湾横断道路、10km超の関越トンネル、都市部軟弱地域での自動車専用道路、山間地道路の新設等により、基幹的道路網が新設または着工された。  また、地すべり防止、のり面補強等の防災対策、わだち掘れや路面凹凸を改善する舗装工事、積雪市街地道路の消・融雪システムの採用等により構造面の改良が進んだ。  交通安全施設としての標識・標示・区画線についても、 反射性能の向上技術の開発、 標示の速乾・溶着技術の向上が図られ、これらは、相互に関連してモータリゼーションの進展及び障害の防止に役立った。  なお、 自動車の生産・品質管理については、 ジャストインタイム方式による生産の技術、 並びに知識レベルの高い技能者に支えられた安定した高品質の車両を生産する技術が確立された。 第4節 社会情勢の変遷  これまで高率を示していた実質経済成長率は、 第一次石油ショックの影響を受けて昭和49年には戦後初めてマイナス成長となり、 以後第二次の石油ショックを挟んで景気の上昇と後退を繰り返しつつ、 年2.5%〜6.0%の低 (安定) 成長へ移行した。  国民生活面では、 昭和62年には日本の国民一人当たりのGNP (ドル・ベース) はアメリカのそれを抜くなど個人所得は上昇し、 しかも所得の高低差はゆるやかで、 いわゆる中間層が厚くなり、 ために家電・自動車等の耐久消費財を含め消費物資は広く普及し、 生活態様は、 全体として都市型となり、また核家族化の進行もあって衣・食・住のそれぞれの多様化・個性化・レジャー指向化が進行した。  産業構造面では、 高度経済成長期に産業の中心となっていた石油化学・鉄鋼などの素材産業が第一次石油ショックによるエネルギーコストの上昇と需要減退による低成長経済を契機として、エレクトロニクス産業等を中心とする高付加価値産業へ路線を転換し、経済のサービス化、 ソフト化が一般化して第三次産業へのウエィト・シフトがなされた。 それは、 次表のとおり、就業人口および生産額の移動としてあらわれている。  人口変動面では、 産業構造の変化・高度経済成長は人口の都市集中をもたらした。 総人口に占める「都市人口」(国勢調査定義)は、 昭和50年代に76%を超え、 東京圏、 名古屋圏、関西圏の三大都市圏および札幌、 仙台、 広島、福岡その他県庁所在地等の地方中核都市に集中した。 「就業人口」および「国民総生産」の構成比(%) │ │一次産業│二次産業│三次産業│ │ 昭和│ 人 口│ 19.3│ 34.1│ 46.5│ │ 45年│ 生産額│ 5.9│ 43.1│ 51.0│ │ 昭和│ 人 口│ 9.3│ 33.0│ 57.5│ │ 60年│ 生産額│ 3.1│ 37.5│ 59.4│  就業人口は、総務庁「国勢調査」 生産額は、経済企画庁「国民経済計算年報」 このため、 過疎地域 (新過疎法による公示市町村1,199 団体) の人口は、昭和45年以降3.6%〜8.4%/各5年間の減少をみている。 人口については、都市地域への地域的移動のほかに、 少子化・高齢化の階層別の変動が進んだ。65歳以上人口が総人口に占める比率は全国平均で昭和45年(1970)年に7%強であったものが同55(1980)年には9%超、平成2(1990)年には12.0%と高齢化が進んだ。 なお、 この期は二度 (昭和48年、昭和54年) にわたる石油ショックを経験した。 エネルギー源としての石油への依存度が高いわが国においては、省資源、省エネルギーが新たな課題として提起され、 道路交通に関するものとして自動車の燃費、 流通、営業車・マイカーの運転に大きな影響を及ぼした。 第5節 社会進展に伴う ひずみの顕在化 この期においては、 「経済成長に伴う生産・流通の活発化」、 「人口・経済の都市集中」、 「個人所得の上昇」により、生産・流通・消費活動は飛躍的に伸びたものの、 それに伴い、 社会的なひずみが顕在化した。 道路交通に関係するものとして大要次のものが揚げられるであろう。 まず、 人口と経済の都市集中は、山村・離島に過疎の現象を生じさせたほか、その他の地域においても、利便性・経済性に応じて生活の地域格差が生じ、代表例として、 人、 物、金が東京の一極に集中するという国土の不均衡発展が見られた。 道路交通の面でも同様に過密過疎の現象が生じた。 次いで、 この都市集中現象と個人所得の上昇傾向は、 都市部における宅地・商工業用地の需要増大をもたらしたにもかかわらず有効な土地対策を欠いたために供給不足によって地価が高騰し、 街路を含む公共用地取得の困難さは交通施設整備面における社会資本投下の効率性を損って整備の立遅れを見、また施設整備の量的拡大を急ぐあまり質的向上、 現状改良が立遅れることとなり、 とくに都市部においてそれが顕出し、 時勢に応じた都市改造、 都市生活の改善を妨げ、 交通環境では事故の多発、渋滞の慢性化・拡散化等悪化のひずみが現出した。 しかし、 ひずみの最たるものは、生活環境の悪化であった。 高密度経済社会、 諸機能の都市集中による人口、工場、 自動車交通の増大と集中は、 豊かさ、 利便さの享受に反比例して、 それらにより排出される騒音、排出物等により大気汚染、 水質汚濁、騒音等の公害を発生させ、 単なる生活環境の悪化のみならず、 健康被害を生じさせてその賠償を要求する訴訟にまで発展した。 これらは、 固定発生源としての産業に起因する公害と移動発生源の大量化に起因する交通の公害が複合した形で発生したものが多く、 問題解決を複雑、困難にした。 この間にあって、 諸対策により一部の状態改善はみられたものの、 環境改善のために設けられた各種(CO、SPM(浮遊粒子状物質)、NO2、騒音等)の基準達成率はほぼ横ばいの状態で終わっており、都市を中心に低い状況にある。 このような生活環境上のひずみは、公害関係諸法の改正とそれに基づく対策の推進にとどまらず、 引き続き 「環境基本法」 の制定 (平成6年) をみるなど、真剣な取組みが要請された。 さらに、 この環境問題は地球規模の問題とされ、 平成元年(1989)年にはG7のアルシュサミット経済宣言は 「環境指標」 をOECDに求め、 同機構は平成3(1991)年に従来の GNP を見直す 「グリーンGNP」 を打出した。このほかにも平成4(1992) 年には「地球温暖化防止条約」の調印がなされる等時代を劃する課題にまで進展した。 なお、 これらのひずみ現象に対して、情報化社会の掛声に合わせたニュービジネスの期待が伴って、 技術的対応として交通の分散・誘導を中心的狙いとする情報システムの構築がそれぞれに構想され、 官・民の資本投下が一つの流れを形成することとなった。