第4編 モータリゼーション進展の光と影 昭和45年〜昭和64年(1970〜1989) (附 平成期への移行) 第1章 概 説  この期は、国内的には自民党政権に支えられ、国際的には冷戦の終結を見るという時代背景のもと、モータリゼーションはいっそう発展し、その明暗が顕著に現れることとなった。また、道路交通の質的変化も見られた。  経済はこの期においても全体的に成長して所得水準の上昇を伴い、国民生活は豊かになり、 このため、モータリゼーションの進展と自動車産業の発展及び道路の整備は、それぞれ相互に依存する形で飛躍的に進展した。 自動車の生産台数は米国を抜いて世界第1位(昭和55年)となり、自動車の普及度は1世帯当たり1台超、自動車の陸上輸送分担率は、おおむね貨物で9割、 旅客で7割となり、また、高速自動車国道は、4,000km超が整備された。  反面、交通事故死者は昭和45年の16,765人をピークとして一時ほぼ半減をみたものの、 のち微増を続け、なお1万人前後の犠牲者を数えた。 さらに、大気汚染、 騒音等モータリゼーションに伴う交通公害の発生、生活環境の悪化は、都市部のみならず地方部にも及んで深刻な社会問題となり、経済成長のひずみ、 モータリゼーションの負の現象として現出することとなった。 加えて、 自動車交通の大量化は、人、物の移動を効率化・整序化するという交通の直接の機能とは異なる次元、 つまり、交通に伴う生活環境の悪化を防止するという観点からの対応が求められ、質的変化をもたらした。 また、 省エネルギーという観点からの質的転換も求められた。 この自動車交通の大量化はまた、衝突危険性と被害の増大をもたらし、 これを防止、軽減するためには、直接対策を主軸としつつも他のシステムと併存しない限り成り立たないという形に変化した。 例えば、 保険、救急、医療その他の被害者救済システム、安全教育システム、 乗員保護装置などである。 次いで、自動車交通の大量化は必然的に交通の渋滞、 道路機能の麻痺を招いたが、 高速道路等の整備に伴い、高速道路交通と平場 (一般道路)交通との類別化がなされ、平場交通においても交通の質 (公共性) に応じて優先措置がとられるなどの質的変化をもたらした。 道路上の駐車については、 当然のこととして自動車交通の範畴としてとらえられてきたが、 道路外の駐車スペース、 荷捌き場、 自動車保有者に対する保管場所の確保の義務付け等も道路交通の前提要件とされるに至った。 この期はまた、 歩行環境の維持について諸種の運動が展開され、 道路交通が自動車交通に偏らないようその抑制と変質が求められた。  これら、モータリゼーション進展の明・暗ならびに自動車交通の質的変化は、道路交通、モータリゼーションに本来的に内在するもののほか、(a)生活・生産にかゝる交通需要の著しい増加、(b)国土・都市・道路の整備の進捗状況、 (c)道路交通管理のコンセプト・組織・機能などの諸要素間の相互の関連性の有無に応じて急激にかつ、全域的に顕在化・噴出したものが多く、 行政はその対応に追われた。 それらを課題項目として整理すれば次のとおりであった。 @ 交通需要の増大と道路整備とのギャップ A 都市部における大量の交通の制御方法 B 混合交通の整序化方法 C 深刻度を増す交通公害の防止方法 D 多発する交通事故の防止と効率的処理の方法 E 公共 (大量輸送) 交通機関の整備と優遇 F 新たに派生する特異事案の処理対策  これらの各課題に対しては、昭和45年以降64年までの間に次のような対策が打たれた。 @ 経済の発展計画、 国土開発計画等の上位計画のもとでの道路整備計画の実行 A 初めての総合対策基本法として制定された 「交通安全対策基本法」(昭和45年6月)に基づく各種計画の実施 B 交通安全施設の緊急拡大整備 C 公害国会 (第64国会) における 「公害対策基本法」、「道路交通法」、「騒音規制法」、「大気汚染防止法」の一部改正による公害防止対策の実施 D その他現場的諸対策の実施 しかし、 このような諸対策も交通需要の急激な増大とその進展の度合いの速さ、 それに伴う各種障害の発生の深刻さに比べ、 充分に効果的であったとは言い切れず、 現象の後追いとなった現実は否めない。 また、現状にはなお厳しいものがあり、 引き続き、 課題の分析・検討に基づく対策の樹立と実行について、 いっそうの改善が求められ、次期に引き継がれることとなった。