第6章 交通警察の展開(2) ― 法令の制定 ―  昭和30年から約10年の間において、交通警察に係わる最も大きな法令の改正は、道路交通取締法を改正して、新たに道路交通法が制定されたことであるといえよう。同法は昭和35年6月に制定され、同年12月に施行された。この章においては、もっぱらこの法律の制定について論述することにするが、その前に道路交通取締法の下において、行われた改正の中で重要なものについて述べておく。 第1節 道路交通取締法及び 同施行令の改正 1 昭和22年道路交通取締法案が国会に提案されたとき、その提案の理由説明において「この法律案は、基本的な諸点のみを規定し、道路の交通方法、運転免許等の細部に亘る部分は命令の規定に委ねている」と述べ、道路交通に関する実質的な規定の大部分は、「交通取締りを所管する官庁の命令」に委任している。その委任に基づいて、内務省令として道路交通取締令(昭和22年内務省令40号)が制定された。その後、道路交通事情の変化に対応して、規定の内容を整備するため道路交通取締令を全面的に改正して、新たに道路交通取締法施行令(昭和28年8月政令261号)を制定公布した。  その後、この政令について行われた改正の中の主なものについて述べることにする。 2 運転免許に関する改正   運転免許に関しては、昭和30年6月に決定された道路交通事故防止対策要綱に、「上級運転免許制度を設定し、旅客自動車運転手については、運転経験期間を延長し、運転手の年齢の引き上げを行うこと」と記述され、運転免許制度の改善の方針が提示されている。このような提案が行われた背景には、自動車交通が頻繁となり、交通事故が多発するようになったこと、そして、その事故の原因となっているものに、ハイヤー、タクシー及びバスなどを運転する「旅客用自動車の運転手」の資質能力に問題があったということ等の事情があった。   警察庁としては、このような提案を受けて、先ず戦前の制度(大正8年自動車取締令及び昭和8年自動車取締令の規定に基づくもの)に定められていた免許を調べて見た。大正8年の取締令の中には甲種免許と乙種免許の区分があり、甲種免許は乙種免許に比べ、運転することのできる自動車の種類が多く、乙種に比べて上級と考えられていた。この制度は昭和8年の取締令で廃止されているが、この取締令で「就業免許」というものが定められている。この免許は「一般公衆の乗用に供する自動車」を運転する者に対するもので、その免許には年齢20歳以上、主たる就業地の地理に通じていること等の条件が付されている。その内容は、現行制度における二種免許に似たものといえようか。なお、この就業免許は昭和13年に廃止されている。このような例を参考としつつ、対策要綱にいう「上級免許」というものについて検討案を作成した。その案の検討の過程において「旅客用の自動車を運転する免許」というものは自動車を使用して行う運送事業に属するもので、本来、運輸行政の所管に属すべきものであるという見解が出され、このことを中心として警察運輸の両行政当局の間で厳しい討議討論が行われた。この点について警察としては、「上級免許といい、旅客用自動車を運転する免許といっても本質的には道路の上を交通するについて、危険を防止し、安全に運転することができるということの確認をすることが自動車運転免許制度の意味であり、その点から考えて、旅客用の自動車を運転することのできる免許も例外ではなく、当然のことながら道路交通取締法に定める免許の範囲内のものであり、戦前の自動車取締令に規定されていた「就業免許」とは全く異なるものである」との見解を明らかにした。   検討案としては、現行制度の免許を分けて一般的な免許と、特に旅客用自動車を運転するものに必要な免許の二種類とした。現行制度の第一種免許と第二種免許である。   第一種免許は概ね在来の免許と同様のものとするが、この免許では旅客を運送する自動車、具体的にはバス、ハイヤー、タクシー等を運転することはできないこととしている。   第二種免許については受験資格として年齢を在来のものよりも引き上げ、21歳以上とすること、自動車の運転経験の期間が通算して三年以上であること、とし、その試験においては「旅客自動車の運転についての適性」「旅客自動車の運転についての技能試験」「自動車、道路の交通及び旅客自動車の運転に関する法令についての試験」を行って、「旅客自動車の運転」ということを明らかにした。   このような考え方に立って案を決定し、内閣法制局に提出して審議を求めた。法制局において、審議が行われる過程で、二種免許の法的性格について道路運送法の法域に属するものではないかという強い見解が示された。   他方、免許本来の性格から考えて、道路交通取締法の法域内にあると考えて差支えないという意見があり、運輸、警察両行政当局の見解を含めて慎重な審議が行われた。   結論として、道路交通が益々複雑困難の度を加えているとき、現状のみでなく将来を見通して、運転免許制度については、単に旅客用自動車だけでなく、自動車の種類、自動車の運行の形態などによってより高度な能力と知識、ならびに適性を必要とする免許の創設が考えられるべきだということで、今回の制度も当然、道路交通取締法の法域内で考えるということになった。   この時に定められた一種免許及び二種免許の内容については、資料編に掲示されているので、ここでの叙述は省略する。   この制度の改正は、昭和31年7月に行われたものであるが、自動車の運転免許ということの根幹に触れたものであり、ある意味では画期的な改正であるといってもよいものである。この改正を土台として、次の道路交通法の制定の際にも多角的に検討が加えられ、また、その後においても屡次の改正が行われている。   運転免許制度については、さらに論ずべきことも多く、後の章においてそれらの問題に論及したいと思う。 3 国家公安委員会の任務について  の改正 −広域交通に関する規制−   モータリゼーションの進展は、自動車交通の広域化を促進し、広域化は同時に自動車の大型化を促す。すでに昭和20年代の後半頃から、東京、大阪、名古屋等の大都市を結ぶ自動車による人員及び貨物の輸送が行なわれるようになり、さらに、それらの中心都市を起点として遠隔の地域に大型バスや大型トラックの定期コースが設定されるようになった。   このような状態は昭和30年代に入って益々発展し、道路交通の規制の斉一化を図るという必要が生じてきた。ところが、道路交通取締法の規定では道路交通の規制に関する任務は都道府県公安委員会に属することになっている。そこで国家公安委員会と都道府県公安委員会の間で、全国的な幹線道路の規制の斉一を図ることについて検討し、警察法の国家公安委員会の任務権限に関する規定を改めて、この種の交通規制について、国家公安委員会が都道府県公安委員会に指示し得るようにすることに意見の一致を見た。その結果、昭和33年3月警察法第5条(任務及び権限)を改正して「全国的な幹線道路における交通の規制に関すること」を加えた。その警察法の改正を受けて、道路交通取締法に新たな法条を設けて「全国的な幹線道路における交通の規制の斉一を図る必要があると認められる場合においては、国家公安委員会は、政令の定めるところにより、都道府県公安委員会に、諸車の最高速度の制限その他の事項の処理について、指示することができる」(要旨)を規定した。   この規定に基づいて、道路交通取締法施行令の一部改正で概ね次のような内容を定めた。 (1) 国家公安委員会の指示の行われる幹線道路は総理府令で定めるとし、その総理府令は道路法による道路のうち、一級国道及び二級国道(京都神戸、東京沼津)を指定している。 (2) 国家公安委員会の指示は、前記の道路について交通の規制が斉一に行われていないか又は斉一でない規制が行われようとしているため、その道路の交通の円滑を欠き、又は欠くおそれがあるときに行われる。 (3) 指示の行われる交通規制の内容は道路の通行の禁止又は制限のほか、項目を定めて規定している。 (4) 国家公安委員会が都道府県公安委員会に対し、求めることのできる報告の内容を規定している。   以上、幹線道路の交通規制についての国家公安委員会の指示権についてその概要を述べたが、このことは交通警察の観点からは、将来の交通警察業務の展開ということを考えると、極めて重要な意味を持つ法的措置であるというべきである。 4 その他の改正   道路交通の複雑化、困難化に伴って、とくに、自動車の交通方法等について警視庁はじめ道府県警察から警察庁に対し、多様な質疑が寄せられ、また、法令について改正の見解も提示された。それらを参考として、交通方法について一部の改正が行われているが、それらの見解、意見等を検討すると、結局は道路交通取締法及び施行令ならびに都道府県条例による交通規制等関係法令全体を通じて見直すことの必要が痛感せられた。新しい法律制定を考えざるを得なくなった理由の一つである。   その新法までの間をつなぐ現行法令の改正の中で駐車の定義(施行令第一条)について一部改正が行われている。法条を読むだけでは、何処がどのように改正されたか必ずしも明らかでないのみならず、全くの技術的な改正ではないかと見られる程の改正である。しかし、改正を必要とした事由は、その改正の行われた昭和30年代の前半の道路交通の実情の下で「自動車の駐車」が大きな問題となっていたことにあり、字句としては僅かな改正であるが、そこに至るまでの論議は道路交通における駐車問題の全般に及んだのであり、その改正も大きな意味を持っていたのである。   改正は駐車及び停車の定義の条文の中において、「貨物の積卸を行う場合において自動車の運転者が自動車にそのまま乗っているとき又は離れてもすぐ運転に従事できる状態にあるときは、5分をこえない時間内の停止に限り停車とみなす」(要旨)として、5分をこえない時間内という時間を明示して駐車の例外を認めたのである。具体的に説明すると前述の条件を満たしておる場合の貨物の積卸の自動車の停止は、駐車でなく、停車とみなし、駐車禁止の場所でも5分以内ならばやむを得ぬこととして認めようということである。この改正が行われる前には、「貨物の積卸」について、自動車を使用する者からは駐車禁止の規制について苦情が多く、また、取締の側からは現実的に取締ることのむずかしいことが報告され、適切な措置を取る必要があった。5分という時間を設けたのは、それに応えたものでもある。   施行令に「割込等の禁止」(第27条の2)という規定がある。   昭和33年3月の施行令改正により新設された規定である。その規定の内容を要約すると「自動車が信号機に従って、又は踏切の遮断機や警報に従って停止するか又は停止しようとして徐行していて、列を作っているような場合、後からきた自動車は、その列の中に割込んだり、又は横切ってはならない」ということである。   この規定を設けたのは、大都市の道路交通の実情の中で、自動車の通行が頻繁になるにしたがって、渋滞が生ずるようになり、その渋滞の中で、その自動車の列を乱して割込むものがあり、これによって交通秩序が乱れ、また屡々交通事故の原因となっていた。警視庁はじめ大府県から法的措置をとることを強く要望された。その要望に応えて、新しい規定を設けた。   さて、条文を作りあげて読んでみると、まことに判り難い。交通方法に関する規定はできるだけ判り易くということが強く要望されているが、あらゆる条件を充たして条文として纏めることはむずかしい。   道路交通に関する規定は、複雑な交通事情の中で、極言すれば千差万別の交通条件のすべてに対応するように書かなければならない。その結果、判り難く表現がむずかしくなることもやむを得ない場合がある。「割り込み」の規定は、その点で最も典型的な例である。 第2節 道路交通法の制定  交通警察に係る法令には、戦前においては、道路取締令及び自動車取締令があり、戦後においては、道路交通取締法及び道路交通取締令(内務省令)ならびに、道路交通取締法施行令(政令)がある。その中で、昭和8年に制定された自動車取締令は当時としては、最も整備された自動車の交通に関する法令であるといわれており、その後の道路交通取締法及び取締令の諸規定の母体になっている。現行の道路交通法にも同令の規定内容が引きつがれているものが少なくない。交通ということの基本は客観的な事情に変化があっても変わるものではない。 [資料編 第5−12]  昭和24年、道路交通取締法の一部改正が行われたが、当時の関係者は「この改正は、わが国交通史上の一新紀元を画するものといわれている」と解説書で述べているが、たしかにこの改正は戦後の混乱した道路交通の実情に対して、交通の秩序づけをするという点において、大きな意味をもったものである。とくに対面通行の考え方を採用して歩行者の通行を道路の左側から右側に変更したことは、道路の交通方法の革命であったと言えるかも知れない。  昭和28年、道路交通取締令(内務省令)を全面的に改正し、新たに道路交通取締法施行令(政令)を制定した。  月を追い、年を追って、激変をつづける道路交通事情に対応して、法令の改正もそのあとを追いかけるように行われねばならなかったが、この施行令は、取締令制定以来の積み重なった部分的改正を体系的に整備し、併せて必要な新たな内容を盛り込んだものである。  戦後10年を経過する間に、道路交通の実態は激変をつづけ、とくに交通事故が頻発するようになり、それによる死者及び傷者は年々増加の一途を辿り、政府としても積極的な対策の必要を認め、昭和30年、交通事故防止対策要綱を発表した。その中で「本要綱において、予算措置、立法措置を必要とするものは、関係行政機関において早急にその準備を始めるものとする」と述べ、施策のための立法を促した。  道路交通法の制定は、そのような要請に応じたものであるが、またこれを機として交通警察に係わる法令の総てにわたって見直しを行い、法体系の整備を行おうとしたものである。前述の昭和24年の法改正についての関係者のことばを借りていえば、まさしくこの道路交通法の制定は「道路交通史上一新紀元を画するもの」であるといってよいものである。  道路交通法の制定の経過及び規定の内容等については、資料編に詳しく述べられており、立案に関係した人たちの座談及び論文、法案についての解説、法案提出の際の提案理由説明等の総てが掲記されている。したがって本節においてはそれらの資料を参考にし、また引用しつつ専ら立法政策の観点から立法の趣旨、法制定の経過等について述べたいと思う。[資料編 第4−6] 第1 背 景  道路交通法の制定が検討されていた当時の事情と、その制定を促した背景などについて先ず述べておこう。 1 昭和20年代の後半から30年代の初頭にかけて、道路交通の実態は極言すれば、混沌、カオスの状態という有様であった。自動車は年々増加し、道路交通取締法が施行された昭和23年には僅か20万台余に過ぎなかったものが昭和28年には100万台を越え、昭和32年には200万台、原付自転車を合計すると300万台を遥かに越えるという有様である。それらの自動車がフル回転する状態になった。   昭和32年の自動車台数約200万台の中、92万台余が貨物自動車であるが、これらが日本全国をその活動地域として、運行している。同年、原動機付自転車は100万台余であるが、この小型の原付自転車が市民の安直な交通手段として利用され、その当時の交通混乱の一因になっていた。   このような中で、交通環境(道路条件、交通安全施設等の条件)の劣悪ということもその一因となって交通事故が急増している。昭和29年には、交通事故総数9万3,869件で、その中で死者6,374人、負傷者72,390人という大きな被害が発生している。その数年後、昭和33年には、交通事故総数16万8,000件、死者8,248人、負傷者14万5,000人となり、負傷者に至っては数年の間に倍増している有様である。 2 このような道路交通の実情に対し、政府をはじめ関係行政当局の立ち上がりは、必ずしも適時即応という状態にはなかった。余りにも、国情全体が多事多難であり、また、経済の高度化の大きな渦が巻いており、道路交通問題を真正面に据えて考える余地はなかった。だが、交通事故の多発と死者傷者の急増の事実に直面するに及んで、政府も事態を重視して内閣に交通事故防止対策本部を設置し、“対策要綱”を纏めて、各省庁に対し、施策の実施を要請した。この措置は関係行政省庁が歩調を揃えて施策を考えるための起爆剤としての効果はあった。しかし、日に日に悪化し、激変して行く道路交通に対しては、その施策に即効的な効果を期待することは無理であった。   世論の盛り上がりも今一つという状態であった。昭和30年頃の死亡事故についての新聞の取扱いは一段ベタ記事というもので、とても世論をまき起こすというような状態ではなかった。一般市民も交通事故については「自分にはあまり関係ない」という無関心ぶりで、警察の呼びかけにも余り反応がなく、交通安全運動といっても年中行事の一つという受け取り方であった。 3 混乱している道路交通に直接に対決し、交通事故の処理とその防止の対策に当っている第一線の警視庁及び各道府県警察の交通責任者たちは、交通事故の増加に対し、一身にその責任を背負っている、あるいは背負わされているという心境であったと思う。もともと交通事故の防止は警察の取締りだけで行えるものではなくその能力には限界がある。にもかかわらず交通事故の原因を調べると、とどのつまりは、自動車の運転者の道路交通関係法令の違反によるということに落ち着くことになり、交通事故とくに、死亡者事故が増加する度毎に「取締まりの強化」ということが要求される。「警察だけの責任ではない」と弁明したくても、当時の状況では、他に手段がない限り警察の責任において、取締りの強化を図る以外に方法はなかった。そこで「道路交通の現実に直接対決している警察の立場から」ということで道路交通の実態とその中に生じている問題を明らかにし、併せてその対策を堤示することを考え「道路交通についての問題と対策」を警察庁の交通警察行政を担当している警ら交通課で作成し、警察部内に通達するとともに、関係行政機関に送付し、またマスコミにも配布して、取締りに対する理解と協力を求めた。   この資料は、交通警察の指針として極めて大きな意義を果たしたが、同時に警察部内の啓蒙用としても意味があった。   在来、警察部内における交通警察の比重は、他の部門に比べると軽かったことはすでに述べているところであるが、道路交通の事情が悪化し、交通事故が増加し、その対策が強く求められるに及んで、交通警察の強化を図ることが急務となってきていた。警察庁において交通警察を専掌する交通課を設置し、警視庁及び道府県警察においては交通警察の組織の強化を図るとともに、人員の増強につとめた。 4 道路交通が自動車の通行を中心として複雑になってくると、在来の法令の規定だけでは対処できない事態が起こり、その都度法令の改正を行ってきているが、現状及び将来を見通して考えると、現行法令を根本的に見直すとともに、新しい事態に対応するための措置も考えて、法体系の整備を行うことが喫緊のことと考えられるに至った。 第2 道路交通法案作成までの経過   前述のような背景事情の下で、警察庁では昭和32年初頭より、新法律案の作成の準備をはじめた。その経過の概要を述べる。 1 交通主管課長を米国に派遣   戦後の道路交通関係法令は、主としてアメリカ合衆国の法令をモデルとしている。また、交通警察の運営とくに交通取締りについては占領軍の米国の軍人から教えられることが多かった。   そこで、新法案を考えるについて、米国の道路交通の実態を視察させ、また、この国の交通警察の組織とその運営の状況を学ばせるため、交通担当の警ら交通課長及び、警視庁の交通部の課長等3名を米国に派遣することにした。約3ヶ月に亘る日程の長期出張である。   その視察結果として次のようなことが報告されている。 (ア) 道路が広く、都市構造は日本のそれとはまるで異なっている。道路交通の実情も、日米の間の相違は大きく異なっており、米国流の政策をそのまま参考とすることは適当ではない。 (イ) 交通警察は、州及び都市警察でそれぞれの管轄に基づいて運営されているが、原則的には「交通警察の任務は取締りということに集約されている」といえるようだ。交通警察の定義について、ノースウエスタン大学の交通研究所(Traffic Institute)は「交通警察の任務は、交通事故の処理、交通の指導、交通法令の執行に限られる」としており、米国における原則になっている。日本の交通警察と比較した場合、その任務の範囲は局限されていると考える。 (ウ) 駐車ということが大きな問題である。駐車場の設置、道路上の駐車対策等多様な方策を講じているが、都市問題として最も重大なものの一つとなっている。ボストン市の責任者は「駐車問題はボストン市の発展のための最重要課題である」と言っている。 (エ) 交通規制については、日本では通行の禁止制限に係わるような規制は警察の所管になっているが、米国ではすべての交通規制は州又は都市の道路局又は交通局の所管となっている。もとより、その規制に対する違反の取締は警察である。   その規制の手段としての信号装置及び道路標識の設置は見事に完備している。とくに眼をひくのは徹底して行われている道路上の標示である。  (オ) 運転免許については、制度としては日米において大きな差はないが、免許の種類は、自動車の種類によって分類するのではなく運転するものの状態によって分類されている。即ち、一般オーナードライバーに対しての一般用免許と「運転をその職業とするもの」に対する職業用免許ならびに、身体的障害のある者に対する「制限付免許」の三種類である。このほか、仮免許がある。    免許の相違は「自動車の運転についての考え方」の相違であるとともに自動車交通の歴史の相違に基づくものであると考える。 (カ) 交通安全については明確な所管ということではなく、官、民、警の一体の任務といえるようだ。警察官の街頭指導、学童保護のスクールバスの運行、女子職員のクロシングガード等が一体となって安全確保につとめている。都市単位の交通安全協会があり、これらが交通安全運動の地域的核となって活動している。    全米規模で交通安全を展開しているのは「アメリカ自動車協会(A.A.A.)」である。 2 交通課及び科学警察研究所交通  部の設置   道路交通について、専門的に行政の処理を行うため、警察庁の組織を改めて交通課を設け、法令の検討、制度の検討などを積極的に行わせることにし、とくに新しい法案の作成について作業の準備に入らせた。また、科学警察研究所の交通部においては、法案の中での交通規制その他科学的研究を必要とする事項について検討をさせることにした。 3 各国法令の蒐集   道路交通の国際的ひろがりに対応するため、米国のほか、イギリス、西ドイツ、フランス等の道路交通法を蒐集し、それぞれの法律についての知識を得ることにつとめた。 4 有識者からの意見聴取   外国で自動車を自ら運転した経験を有する外交官、会社役員等数名の人から、現行道路交通取締法についての意見及び外国の道路交通事情についてその説明を聞いた。   その意見の中で、共通して指摘されたことは歩行者優先の徹底、左方車優先(欧米では右方車優先)、道路標識を国際標識にすること、道路標識の設置の促進、とくに「前方に道路工事その他障害物のある場合の指示標識の設置」等であり、このほか交通警察官のあり方について日本の警察官と比較して多くの意見が提示された。道路条件及び道路環境については何れも日本の現状と比較すると特段に整備されていることが報告されている。この点については、ドイツのアウトバーン、フランスの自動車専用道がすべての条件ですぐれていることが言われている。   道路工事は、何れの国でも各所で行われているが、道路標識を活用して、交通の混乱を防止しているとの見解が多く示された。   この有識者については、何れもその後の法案作成の間のアドバイサーとして協力を依頼し、その中二名の方には道路交通法案の国会審議の際、参考人として供述してもらうことになった。 5 マス・コミ対策   新しい法案は、なんとしても国民の支持を受けるものであって欲しい。そのためにはマス・コミの協力を得ることが肝要である。昭和33年初頭「道路交通についての問題と対策」を発表したが、この警察部内通達をマス・コミに提供して、道路交通について関心をもってもらうことを期待したが、偶々タクシーの暴走で大学生が死亡する事故について「神風タクシーの暴走」という形で新聞が大きく記事にとりあげ、これを契機として、大新聞が競って交通キャンペーンを展開するようになった。各新聞は記事のみでなく、論説においても交通問題をとりあげ、昭和33年から35年にかけて、多くの論説が発表されている。マス・コミの積極的なキャンペーンの展開は、新しい法律を作ることについての大きな推進力となった。(資料編 第13−3) 第3 道路交通法案の作成   内閣法制局の審議を経て、内閣が国会に法案を提案し、その国会で成立した法律を見ると、見事に内容も整い、また法の形も整備されたものになっている。しかしそこに至るまでの間の“法案”は、二転三転してその都度内容が変わり、表現が変わり多くの紆余曲折を経ている。   昭和35年6月、国会で成立した道路交通法も、昭和32年9月に「道路交通取締法改正要綱」をはじめて作成して以来、法案が確定するまでには数次に亘る改訂が行われている。道路交通法の成立するまでの経緯を概観すると、当初の頃の案は現行法を下敷にして、当時の道路交通の実情に対応するために新しい条文を加えて法体系を整備するというもので、大幅ではあるが、現行法の一部改正の範囲内のものであった。案作りを重ねるに従って、立法政策的な考え方に立って道路交通の安全と円滑を図るための積極的な対策を新たに盛り込むとともに、法体系を根本的に検討して「道路交通についての基本法」としての整備を図るというように考え方が大きく進展している。以下順を追って説明する。 1 昭和32年9月、道路交通取締法改正要綱案をはじめて作った。政府によって示された「交通事故防止対策要綱」に対処するためである。   この改正要綱案に書かれている改正の方針は次のようである。「最近における道路交通の現況にかんがみ、及び将来の道路交通に対処し、道路における危険防止及び円滑を図る措置を強化するため、規制及び取締権限の強化を図るとともに、罰則の引上げを行い、あわせて法体系を整備することとする」。   この方針の下に、道路上の危険防止のため特に必要があるときは警察官が措置をすることのできる権限の強化、自動車等車両の通行についての規定の整備、酒気帯び運転の禁止、悪質な法令違反に対する罰則の強化、運転免許の行政処分の強化、少年の自動車運転者の法令違反の取扱(少年法の適用除外)等について規定を整備することとしている。更に道路運送事業に係る公安委員会の意見の提示について、運輸省との話し合いを提案している。 2 「改正要綱案」を叩き台にして、警察庁の内部及び警視庁、道府県警察において、それぞれの立場で検討を行い、その間に論議された問題点を集約したものが、昭和33年12月に「改正要綱策定上の問題点」として部内に限って提示されている。その中に一、二の注目してよい意見があるので、それについて述べておく。 (1) 「道路交通取締法の内容は、かなり複雑多岐に亘っているので、その内容を分類して、それを数箇の法律に分けて整備すべきではないか」という意見。   この見解によると道路交通について、現行法を分けて交通規制については「交通規制法」。運転免許については「運転免許法」とし、それ以外のことを一括して規定する「交通法」の三本建ての立法を考えたようである。この考え方は、その後の議論にはのぼっていないが、「運転免許法」ということについてはその後も検討の対象になっている。 (2) 「道路交通の実態は、地域的にかなりの差異が生じてきており、全国一律のものとして規定することには無理があり、矛盾も存する。よって、これを調整するための特例法を設けるべきではないか」という意見。   この見解についても、法案作成の際には問題とならなかったが、より適切に道路交通の実態に対応するという観点からは今日現在において、考えてもよい問題である。 3 昭和34年1月、道路交通取締法令改正方針案を作成した。   警察庁では、道路交通取締法令を改正するための「改正要綱」を叩き台にして一年余の間検討を続けてきたが、その間の意見を調整し、正式に法律の改正を決定し、「改正方針」を定めた。   基本方針として「現今の交通事情の飛躍的な発展変貌と将来に予想される一層複雑な交通事情に対応するためには、最早、法令の一部改正では到底対処し得ないので、全面的な改正を行うことにする。併せて、諸外国の法令を参考にするほか近く加入が予定されている「道路交通に関する条約」との関連を考慮して規定内容を考える。」と述べている。   この方針に基づく改正要目が掲げられているが、その中の注目を要するものだけを掲記しておく。 (ア) 名前を「道路交通法」と改  め「取締」の二字を削る。 (イ) 法令に馴染み易くするため、  極力用語の平易化を図る。 (ウ) 「道路交通条約」の加入に  備えて規定を整備する。 (エ) 全国的な幹線道路である高速自動車国道、数都府県にわたる自動車道及び重要な一、二級国道における交通規制は国家公安委員会が自ら行いうるようにする。また、これに伴って、それらの道路における交通取締りは警察庁が行うことができるようにする。 (オ) 警察官の交通取締りについての権限を明確にするとともにその強化を図る。 (カ) 道路における禁止行為について、内容を検討し法規制を明確にする。 (キ)車両等の交通方法について検討を加え、併せて悪質な法令違反の罰則を強化する。 (ク) 軽微な法令違反については即決手続きにより過料を徴収することができるような制度を設ける。   以上のほかに、運転免許制度については道路交通法とは別に「自動車運転免許法」の制定という意見を述べている。その内容として、運転免許に関する在来の規定のほか、特定の自動車の免許については国家免許の制度を設けること、免許の種別を整理すること、等を考えることとしている。 4 昭和34年8月、警察庁としては、最終の「改正方針」及び「要綱案」を作成した。   前述の方針と改正要目について、警視庁及び道府県警察の意見を求め、また部外有識者20名による審議会にも付議して意見を求め、それらの意見を参考にして最終要綱案を作成した。   要綱案に規定されている内容の主なるものについて、「道路交通取締法改正要点」という文書が作成されているので、それに基づいて、要綱案の概要を述べておきたい。 (1) 法体系について   基本的な事項はすべて法として規定し、手続き的なもの、頻繁に改正を要する事項、地方的に定める必要の度合いの強いもの等は、政令又は公安委員会規則に規定する。   法案としては罰則を除いて109条となる。なお、罰則は特別な例外を除いて、すべて法に規定する。 (2) 歩行者の保護について   章を設けて、歩行者の交通原則を明らかにするとともに、自動車等車両の歩行者に対する保護を徹底する規定を設ける。 (3) 危険防止に関する規定について (ア) 交通警察に従事している警察官が交通整理をはじめとして危険防止のため必要な指示をすることのできる根拠を明らかにし、その権限に基づいて危険防止と混雑緩和のための指示、不法駐車に対する指示及び移動等の応急措置、不法な障害物件の撤去指示及び応急措置を講じうるようにする。 (イ) 「酒に酔って運転すること」について考え方を明らかにする。 (ウ) 全般的に、運転者の義務規定を整備する。 (エ) 道路の使用について、禁止行為及び許可を要する行為に関する規定を整備する。 (4) 交通方法に関する規定について   現行法令に規定されている交通方法の中、改正すべきもの、新たに設けるもの等について検討し、規定を整備する。とくに、駐車、停車について、現状の無秩序を改善するための新たな措置を規定する。 (5) 交通規制に関する規定について (ア) 通行の禁止制限の中、軽易なものについては警察署長が行いうることとする。 (イ) 「道路標示」という用語の定義を新設し、道路上に文字及び記号の標示を行いうることとする。 (ウ) 最低速度の規定を設ける。 (エ) 高速自動車国道についての交通規制は、国家公安委員会が行うことにする。 (6) 運転免許制度について   現行の都道府県公安委員会による制度は維持するが、運転免許が全国的に有効であるということから、免許事務の斉一を期し得るよう事務の基準を政令で定める。その他、運転免許について、制度の整備を図る。 (7) 自動車の運転者を使用する使用 者等に対する措置について   運転者が交通法令違反をし、又は交通事故を起こした場合、その責任が明らかに使用者等に帰せられると認められる場合には、所要の措置をとることができることとする。 (8) 罰則について   悪質な交通法令違反について罰則を強化するほか、死傷、建造物損壊事故等についての特別な罰則を設ける。また飲酒運転による交通違反又は交通事故については罰を加重することとする。   この最終の要綱案を交通事故対策本部及び関係各省庁に提示して意見を求め、すべて調整を終えて警察庁としての「道路交通法案」を決定し、内閣法制局に提出した。 5 この道路交通法案について、道路交通取締法と大きく異なる主要な点について述べておきたい。  (1) 法の名称を道路交通法として、在来、道路交通関係法令に使われていた「取締」という語を使用していないことである。取締という用語が使用されていることにより、違反を「取締る」ための法であると理解され、または理解されるおそれがあるので、この法の目的に明らかなように、交通の危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図ることを目的とする道路交通の基本法であるということを明らかにしている。 (2) 道路交通取締法及び同取締令、ならびに都道府県条例による交通規則等に定められているものの中、基本的なものと考えられる事項はすべて法律として定めることにし、それらの法令の規定を検討して、章として八章、条文として 114条の法案とした。 (3) 法の目的を改めて「円滑を図る」ことも、新しい法律の目的であることを明示した。この目的の改正に併行して、具体的に、交通の円滑を図るための規定の整備を行っている。 (4) 道路交通の現場における警察官が臨機応変の措置を執って、交通の危険を防止するとともに交通の円滑を図り得るようにその権限を強化することにしている。しかし同時に権限の行使については厳しい条件を定めて行き過ぎのないように配意している。 (5) 道路の有効利用と交通の安全と円滑を図るという観点から、道路の不正使用に対する措置を定めている。道路の使用の禁止及び許可、道路交通を著しく妨げる工作物、物件等に対する警察官の強制措置(駐車違反の自動車等の強制撤去など)等の規定を設けている。 (6) 歩行者の保護を図るため、歩行者優先の考え方に立って規定を整備するとともに、歩行者についても歩行の方法を規定している。 (7) 自動車等の運転者の義務について、在来の規定を整理し、特に「飲酒しての運転」についての規定を厳しく定めている。 (8) 自動車等の運転者を雇用する者等について、運転業務の監督及び違法な運転をさせることのないようにすること等について、法律上の義務を設けている。道路交通に係る在来の法令に比べて画期的な規定である。 第4 内閣法制局の審査  政府の提案するすべての法律案及び政令案は、必ず、内閣法制局の審査を受けなければならない。  警察庁で作成した道路交通法案は、昭和34年9月に法制局に提出し、約5ヶ月間にわたって、その審査が行われ、翌35年2月に国会に提案された。法制局の審査は、主として法律的観点から行われるものであるが、その審査の過程で、原局で提案している政策内容にも及び、規定の内容が大幅に変更されることもあり、俗っぽく言えば法制局は、法案を提出している原局にとっては、大きな難関というものである。  法制局においては、警察庁の作成した法案について、一条一条、極めて厳しい検討を行い、原局との間において長時間に亘って討論することもあった。警察官の権限について原局としては、道路交通の実態から見て、交通の現場に臨んでいる警察官に適時必要な措置を執り得るようにすることを強く念頭において作案しているが、法制局の立場からは、その権限及びその行使が法目的に合致しているか否か、僅かでも濫用のおそれや人権の侵害になることはないか、というような視点に立って、一字一句といえどもゆるかせにしないという厳しい審査を行った。  道路交通に係る法令には、その法令の性質上罰則を伴う規定が多い。罰則のつく法条については、その規制内容の構成要件を厳しく定めておくことは当然のことであり、この点について法制局の審査は特に厳しく行われた。  この結果、条文の構成と表現が原局の案に比較すると、精緻になったかわりに読み難くなったものがかなりある。  自動車等の運転者を雇用する者の運転管理上の義務の規定については、原局である警察庁においてもその立案の当初から、法律の専門家や学者等の意見も聞いて、慎重に検討した上で条文を作成したが、法制局の審査においては、この法案の目的の範囲内か否か、警察の責務の範囲内か否か等、多面的に検討し、原局とも十分に論議を交わした。  長日時にわたる法制局の審査の結果、部分的ではあるが、原案についてかなり大幅な加除修正が行われ、昭和35年2月に、正規に政府提出案としての道路交通法案が決定され、直ちに国会に提案された。 第5 国会の審議 1 昭和35年2月17日、内閣から道路交通法案が国会に提出された。 国会においては、参議院先議ということになり、参議院地方行政委員会にその審議が付託された。地方行政委員会では慎重審議をするため、小委員会を設け、10数回にわたって審議が行われた。   その間、委員による東京都内の交通事情の視察も行われ、また、審議の最終段階では、有識者の参考人の意見聴取も行われた。審議の結果、法案中一部の修正を行い付帯決議を付して全員賛成により法案が可決された。警察関係法案で全員賛成という例はなかったと思う。   続いて3月末日、衆議院に法案が送付され、参議院の場合と同様、地方行政委員会に審議が付託され、小委員会を設けて審議が行われた。法案について逐条審議が行われた後、一部の修正が行われ付帯決議を付して地方行政委員会では全員一致で可決された。ところが本会議に上程される直前、国会議事堂を取り巻いたデモにより混乱事態が発生し、一時、国会の審議が中断されることになった。その後6月19日、審議が再開され、他の諸法案とともに道路交通法案も可決された。直ちに衆議院による法案の修正部分について、参議院の承認を求め、6月25日道路交通法が成立した。 2 国会の両院の審議の内容については、資料編に掲げてある資料に記載されているほか、審議の結果を集約して、付帯決議として述べられている点については、前章においてもその要約を述べているので、ここではその記述は省略する。   審議の中において、特に厳しい質疑応答の行われた点について速記録により一、二点述べておく。   参議院において、法案の規定中、「行列及び歩行者の通行を妨げるおそれのある者で、政令で定めるもの」という規定、及び道路の通行について「歩道と車道の区別のある道路においては、車道を通行しなければならない」という規定が定められていること及び「警察官の指示等」という警察官の権限の規定と合わせて「示威行進を殊更に規制しようとするのではないか」という質問が繰り返し行われている。政府側ではこの法案の目的を説明し、どこまでも「道路交通の安全と円滑を図り、危険を防止することが目的であり、示威行進を目標として規制するものでは全くない」旨を繰り返し答弁している。   その当時の社会的状況は、屡々到るところで、デモ行進が行われている有様であったので、このような質問もまたやむを得なかったのかも知れない。   衆議院においても同様の質疑が繰り返されているが、要は、警察官の職権の行使について慎重を期すべきであるということを明らかにし、「警察官の質的向上と教養の徹底ならびに「職務執行の適正」ということについては付帯決議が付されている。   道路交通法案には罰則を伴う規定が非常に多い。このことについて衆参両院共に、質疑が多かったのみでなく、積極的な見解が表明された。その中で、悪質な法令違反については原案よりも重くして然るべしという意見が述べられ、「飲酒運転」「雇用者等の義務」の規定などについて特に意見が述べられている。   議論の中、罰則については、一方で罰則が多すぎる、重すぎるという見解と、他方において「世論を考えると罰則を重くするのもやむを得ない」という意見もあり、道路交通の法令違反の取扱いそのものの微妙なことを感じさせる。   罰則について極めて注目すべき改正が行われている。罰則の付されている法条については、その条文の末尾に「罰則第何条」とか「罰則第一項については第何条、第二項については第何条」といように適用される罰条が付記されることになった。当時の意見では「単なる形の問題ではなく、違反に対して罰のあることを明らかにして、順法意識を喚起するところにある」と示されている。   運転免許について、両院ともに質疑も多く、又多くの見解が示され、それぞれ付帯決議として意見が示されている。   免許の年齢、行政処分、免許試験等に係わって運転免許制度の合理化のことがその付帯決議で述べられている。   以上、道路交通法について制定に到るまでの経過と内容を記述したが、その後も殆ど毎年といっていい位に一部改正が行われている。流動し、変化し、新しい事態の起こることの多い道路交通の実態に常に対応して行くためである。   この点について、道路交通法の立法に際しては、できるだけ法律事項とすることとしたが、変化に即応するためには、政令以下の命令に委任することも将来考えて見る必要があるように思う。