第5章  交通警察の展開(1) − 総 論 − 序 説  交通警察が実質的にその活動を展開するのは、終戦以後のことである。もとより、戦前においても交通警察の組織もあり、その任務の根拠となる法令である道路取締令及び自動車取締令も施行されており、それに基づいて交通取締りも行われていた。しかし、その活動は警察行政の中の極く一部に過ぎなかった。  敗戦による占領行政の下において、占領軍当局から、中央においてもまた、第一線においても警察当局に対し厳しい指令、指示等が発出され、道路における交通取締りが要請された。このことについては、詳細に既述したところであるが、これらの措置は、道路交通の現状に対する応急的な対策を求めたものであり、日本政府の主体的かつ政策的な交通警察の展開というものではなかった。  昭和22年から23年にかけて、道路交通取締法及び警察法が制定され、道路交通に係る行政の中の警察行政の位置づけが明らかになるとともに、その所掌の範囲も明らかになった。その所掌は、「道路における危険防止及びその他の交通の安全を図ること」(道路交通取締法第1条)である。同時に制定された警察法による警察組織は、すでに述べている通り、国家警察及び自治体警察に分かれた複雑な体系となっており、この結果交通警察も全国斉一的な活動を展開することは甚だむずかしくなった。他方、道路交通の実情は、次第に自動車を主体とする交通が進展し、さらに全国的な規模で広域化するようになった。  昭和29年に警察法が大幅に改正され、警察組織とその任務の遂行についての態様が根本的に変わった。交通警察についても、これに応じて中央地方を通じて、有機的に連係して活動し得るような組織体制が作られた。他方、すでに悪化の傾向にあった道路交通の情勢、とりわけ交通事故の多発する状態に対処して、積極的な交通警察の展開が求められるようになった。  政府においても、交通事故が多発する道路交通の実情に対応するため、内閣に交通事故防止対策本部を設け、交通事故防止対策要綱を定めて各省庁に対し積極的な対策の実施を要請した。その対策要綱において、特に交通警察の所掌事項について積極的な対策とその実施が強く求められている。これに対応して、警察庁においては、対策要綱に定められている諸々の対策を実施するため、交通警察の積極的な展開について検討をはじめた。  昭和30年6月、この交通事故防止対策要綱の制定を機として交通警察の新しいかつ、積極的な展開がはじまったのである。 第1節 交通警察の考え方 交通警察のフィロソフィー 新しい憲法の下で、民主的で自由な平和国家を実現するという大きな国家目的を掲げ、諸制度の重要な改革が行われた。その中でも、特に、警察の民主化、基本的人権の尊重等について厳しい考え方が示された。このことは一般市民と接触することの多い交通警察に従事するものにとっては、従来の“権力機関としての警察”という考え方を根本的に考え直す必要があった。その一方、交通警察が活動する対象である道路交通の実情は、終戦後10年の間に大きな変容を遂げている。質においては、自動車を中心とする交通となり、量においては月を経、年を経るごとに大幅な交通量の増加を示している。  神風タクシーといわれるタクシーの事故とか、長距離トラックの過労運転による事故というような特異な事故も頻発して社会問題となる反面、交通取締りに当たる交通警察官の取締りのあり方についていろいろ批判されることも多くなり、交通警察が直面する諸々の問題が表面化して来た。  警察庁においては先に制定された事故防止対策要綱の実施に際し、先ず交通警察の運営についての基本的な考え方を明らかにし、交通警察に従事する警察官の心構えを確固としたものにすることが必要と考えた。そのことについて、以下、昭和33年初頭に“交通警察についての考え方”として全国の交通警察組織に提示した参考資料の概要を述べ、併せて3Eの原則について述べることにする。 1 昭和33年初頭に作成された“交通警察についての考え方”は、参考資料という形で交通警察のあり方を交通警察に従事している警察官に示したものであるが、その当時の実情からみて、必要に迫られてそれ以前には殆ど考えられていなかった交通警察のフィロソフィーというものを明らかにしようとしたものであり、その当時はもとより将来に亘って大きな意義をはたしたものということができる。  考え方の1   交通は日日実現している社会生活であるということ。   道路上で行われているさまざまな交通は何れも市民の日常生活の一環をなすものであり、交通そのものが日常生活であると考える。ところが交通警察の任務は、道路の上で行われている交通をやむを得ず制限し、禁止し、また法令違反を取り締まることにある。   そこで、その任務の遂行に当たっては“交通は市民の日常生活であり、社会活動である”という考え方をしっかり身につけておくべきである。  考え方の2   交通警察は「善人」をその仕事の相手としているということ。   警察の任務の中では犯罪の捜査ということが伝統的に最も重要なものとなっている。その結果犯罪の捜査を行うとか取締りを行うような場合、その対象である市民をともすると、“疑わしい”とか“罪を犯そうとしている”とかというような眼を以って見がちである。   交通警察の場合においては交通取締りや交通事故の調査、捜査を行うとき、一般犯罪の捜査とすべて同じであると考えることは必ずしも適当ではない。道路を交通している人々は文字通り、交通という形で日常生活を行っているのである。その人が偶々道路交通法令に違反した行為を行ったとしても、そのことを一般的犯罪捜査の対象となる行為と同一に論ずることは適当ではない。善良な市民が偶々、日常生活を行う中で犯した法令違反=ケアレスミス(不注意からくる見落とし)である場合も少なくないのである。   また、道路交通の秩序の維持は警察取締りだけでは到底十分を期し難い。善良な市民の全面的な協力が必要である。道路交通における交通警察は、その対象が善良な市民であると意識するところから、極く自然に市民の交通警察への協力が行われるようになる。  考え方の3   交通法令は、生活のルールを定めたものであるということ。   道路交通取締法の規定には「してはならない」「をしなければならない」という表現が極めて多い。このため、屡々、この法律は交通するものを取締り、そして処罰することを最大の目的としたものであるように考えられるが、この法律の目的は交通の危険防止と交通の安全を図ることにある。そのために「安全な交通を行う」ためお互いの取りきめとしてルールを設けることが必要である。対面通行も、スピードを守ることも、飲酒運転を禁ずることも、すべて交通の安全を確保し、円滑な交通を実現するための必要不可欠のルールである。そのことを言いかえれば、交通という社会生活を行うための取りきめとしてのルールである。そのルールは、従って社会情勢の変化に対応して適時に変更されることがある。昨日まで通行できた場所が一方通行になって通行できなくなり、制限速度が40キロメートルが30キロメートルに変えられることもある。昨日までの適法のことが今日からは違法になるというのが交通法令の一つの特徴である。即ち生活のルールなのである。  考え方の4   交通は、国民の協力の上においてのみ、その秩序が維持されるものであるということ。   交通は、道路を利用して移動するすべての人々が参加して実現している社会現象である。交通の秩序が維持され、安全が確保されるのはその参加している人のあり方にかかっている。   交通の秩序の維持は、交通警察だけが行うものと考えることは独断に過ぎるものである。交通に参加している市民の積極的な協力を得なければ、真の秩序の維持はできないし、安全の確保もできない。とすれば、交通警察の運営の考え方として、一般市民が進んで協力するような方策を考え、とりわけ交通の取締りにおいて市民の納得のいくあり方を考えてみることが肝要である。  考え方の5   交通違反や交通事故は社会生活の中で発生する病気のようなものであるということ。   交通法令に対する違反といえども違反ということについては、他の法令と区別する理由はないが、その違反が行われた事由については、時と場合によっては一人の責にのみ帰し得ないやむを得ないと思われるようなものがある。例えば、道路の穴ぼことか、道路がぬかるんでいるとか、という場合、その穴ぼこやぬかるみにも一半の原因が考えられる。タクシー運転者の速度違反は大きな事故の原因につながっているが、その運転者の雇用関係を見たとき速度違反の一半の責任は雇用者にもあると観ぜられる場合が少なくない。交通事故について、自動車の運転者の責任を考えた場合、いかなる運転者も故意に事故を起こそうと考えて、事故を起こしているとは考えられない。にもかかわらず事故が起こるのは、先ずその第一の責任は当然運転者について考えられるが、その事故を起こした環境条件を見ると、道路に欠陥があった、交通量が雑多で複雑すぎるということもまた考えられる。   このように見てくると、道路交通の場において生ずる法令違反や交通事故は道路交通を組み立てている構造の中にも原因があると考えることができる。したがって交通違反を取締り、交通事故を防止するためにはその構造の中に存する諸々の要素を分析して、その構造自体を健全なものにすることが必要である。   このような観点に立って考えると、交通違反にしても交通事故にしても構造的な異常と言えなくはない。もしこれを人体における異常現象としての病気とたとえるならば、交通警察に従事するものは医師の立場にあるものであり、交通取締りに当たっても交通事故に対処しても医師が病気に対する如く、その因って起こって来ている原因を明らかにし、その根本を改める対策を考える理性と科学性を身につけることが必要である。 2 以上のような「考え方」を執務参考資料として、各都道府県警察に提示し、また、交通警察主管部課長等の意見を求めたところ、考え方の2の「善人論」についてかなり厳しい反論が出た。即ち「善人論は机上の空論である。第一線で接する自動車の運転者の中には、悪質そのものが決して少なくない」というものである。次は交通違反や交通事故の防止の最良の手段は厳しい取締りにある。この資料の考え方は、全体を通じてその点の考え方が生ぬるく、第一線の実情を知らざる机上の論である。   このような意見は、その当時の交通警察の主務者の会議で発表され、厳しい討論が行われた。さらにその後においても“取締りの強化こそ事故防止の最良方策である。厳しい処罰こそ事故を防止する方策である”という見解が出されている。   しかし、昭和30年から数年の間の道路交通の実情、実態を考えると、厳正な取締りは必要であり必ず行わねばならぬことであるが、同時に“どのような考え方”を以って行うかということも十分に考える必要があった。昭和32年2月、当時の警察庁長官は、全国交通主管課長会議において、「交通警察については何としても人の通行する自由をある程度制限するのであるから、余程慎重にその措置を検討し、合理的な規制を行い、またその取締りも納得のいくような適正なものでなければならない。」と方針を示し、さらに「警察は国民の信頼の基盤の上に立つこと」を説示し、「信頼を得るということ」は「阿諛迎合する」ということでは断じてないと述べて、警察庁としての交通警察運営の基本的な考え方を示している。[資料編 第6−1]   それにしても、このような第一線の見解については、当時の警察庁の当局者も十分理解しているところであり、かつまたその当時の第一線の実情についても十分に認識していたが、なおかつ当時の現状に対処するとともに将来を見通しての交通警察のあり方を勘案して、基本的にはこのような考え方の浸透を図ることが重要であるとしたのである。 3 このほかに所謂3Eの原則という考え方がある。これについてはすでに述べているが、アメリカでは交通警察の基本的な考え方であるといわれ、藤岡長敏氏の著書でも紹介されている。Enforcement(交通取締り)、Engineering (交通技術−交通規制)、Education (安全教育)の三つのことを併せて3Eの原則と言っている。   戦後、占領軍の指導の過程で米軍の関係者からこの3Eの原則が伝えられ、また道路交通取締法の制定に当たってGHQの係官と折衝している過程でこの原則が紹介されたようである。   交通警察が確立するまでの十年間程は、この3Eの原則ということが指導原理のようになっていた。その後は余り語られることはなくなったけれど、この考え方は深く浸透して、組織を作るときも、また交通警察の業務を展開するときも大きく影響を与えているように思う。  第3節 交通警察の組織  戦前は、中央地方を通じて東京都のほか大府県を除いては交通警察の組織と言えるようなものはなかったといってよい。戦後間もなく道路交通取締法の制定の際、主管省である内務省でこの事務を担当したのは警保局の中の公安第二課の交通担当官であったが、この担当官も主務は他の事務であった。その担当者の言によれば「一から勉強した」とのことであった。組織もなかったが、またこれを担当した事務官も専門的知識はもっていなかった。  道路交通については戦前、道路取締令及び自動車取締令という交通警察の主要な根拠法令があり、この法令を執行するため警視庁ほか各道府県警察には、それぞれの規模の組織を設けており、大都市をその管轄とするところでは、ある程度その組織の充実を図って道路交通の実態に対応していたが、全国的に見た場合は、道路交通の取締りよりは運輸事業の監督、許認可等に係わるものが大きな部分を占めていた。とくに戦時中になると、交通警察は事実上機能停止の状態だった。  占領下の昭和22年に道路交通取締法及び警察法(旧法)が制定され、この法律により、一方で交通警察の所掌範囲が今までに比べて局限され、他方で警察組織が国家地方警察と千数百の自治体警察に分立することになり、それぞれの警察でそれに準拠した新しい組織を作り、かつその組織の運営に当たることになった。率直に言って、次第に複雑化し、困難化しつつあったその当時の道路交通事情に対応するためには、効率性、即応性、広域対応性という点からは適切な組織体制ということはできなかった。  昭和29年に警察法が全面的に改正され、警察組織のあり方が根本的に改められ、中央機構としては国家公安委員会と警察庁、地方組織としては都道府県公安委員会と警視庁及び道府県警察というように整理され、これに基づいて交通警察についても新たな組織作りが行われることになった。 第1 中央の組織 ― 警察庁 ―    1 中央における交通警察の組織は、戦前の内務省の時代から、警察法(旧法)の施行された昭和23年から29年にかけての国家地方警察本部の時代を経て、昭和29年警察法が全面改正されて中央組織として国家公安委員会とその管理下に警察庁が設置されるまでの間、かなりの変遷を経ている。   改正された警察法の施行に伴い、警察庁の組織の中に「警備部警ら交通課」が設けられた。この課は、その所掌するところは多岐にわたり、警備実施―多人数の集団の示威行動等の規制など―、外勤活動―交番などを拠点としたパトロール等―、そして交通警察という三つの部門を所掌した。この課の発足当初から、昭和30年前半においては交通警察に従事する係員は僅かに7〜8名程度であった。人数は少なかったが、まことに多忙であった。道路交通事情の変化が激しく、交通事故による死傷者が多くなり、このような状況に対し、一方で道路交通に係る法令の改正による道路交通事情の改善方策を考え、他方で政府全体で交通事故防止対策が検討されることになり、このことに関して対策意見を提示するなど、多角的に業務を行うことが多くなった。   そこで、昭和33年警察庁の組織を改正して保安局を設け、前述の警ら交通課を分割して、交通警察を専掌する交通課を創設し、保安局の所属とした。しかし課を設けたけれども直ちに人員を増加することにはならず、課長以下総数8名の定員はその前と変わらなかった。小人数ではあったが、道路交通取締法の改正に取り組み、昭和35年6月新しい道路交通法の制定を見ることになった。   道路交通法の施行を機に、さらに交通警察の組織機能を充実させるため、昭和36年4月交通課を分けて交通企画課と交通指導課の二課とし、その体制を統括するため参事官を置くことにした。   次いで、昭和37年、交通局を新設し、その所管課も交通企画課、交通指導課ならびに運転免許課とした。   内部組織としては以上の通りであるが、この他に昭和34年に科学警察研究所が創設され、その中に交通部が設けられた。専ら交通警察についての科学的考察と研究を行うことを目的としたもので、部外から心理学、交通工学、情報通信等の専門家を求め交通部の要員として配置した。   この科学警察研究所を設置することが論議されたとき交通警察を所掌している立場からは、道路交通研究所の創設を強く要望した。交通警察の運営の科学化を推進することと交通警察の専門要員の養成を図ることを期待したためである。   さらにもしできるならば、道路交通に係る他の省庁の要員の委託教育も受け入れることも考えていたのである。結果的には、予算その他の事情によってその創設は認められず、刑事警察、防犯警察等の部門と共に交通警察についての科学的研究機関としての科学警察研究所を設けるということになり、交通警察に関してはその部局として交通部が置かれたのである。その交通部では、専ら心理学的観点から研究する交通安全研究室と交通工学的観点から交通規制の科学化等について研究する交通規制研究室が設けられた。   以上のほか、警察庁の地方支分局である管区警察局にそれぞれ、交通警察の業務を担当する部局が設けられている。 2 警察庁は前述の如く組織の強化充実を図ったが、同時にその組織を構成する人員についても建設省との人事交流、さらに運輸省との人事交流により一層の質的充実を図った。   その交流人事の目的は、道路交通に係る行政の縦割りによる弊害を未然に防止して行政省庁が同一の理念の下に行政を行うことを期待したものであり、さらに警察庁としては道路行政についての技術的専門官の出向により交通警察の運営とりわけ交通規制等についての科学化を進めることを期待したものである。   昭和33年交通課が設けられた機に先ず建設省より道路行政に詳しい職員の出向を求め、警察庁からは交通警察の経験者を建設省に出向させた。爾来、両省庁の間では、平成13年に至るまで、連年、その交流を継続している。このような警察庁の人事交流による組織の充実強化の方針により、警視庁及び道府県警察においても、技術系の専門官の出向をそれぞれの都道府県の道路行政部局に要請するほか、他官庁にも要請した。 第2 都道府県の交通警察の組織 1 国家公安委員会(警察庁)と都道府県公安委員会(警視庁及び道府県警察)は、法制的にはそれぞれ固有の任務と権限を有する独立した行政機関である。道路交通取締法(昭和35年12月20日まで)又は、道路交通法(昭和35年12月20日以後)は、交通警察運営の基本法というべき法律であるが、この法律の規定によると、行政機関としての任務及び権限の大部分は、都道府県公安委員会に属することとなっている。都道府県警察の交通警察の組織を考察する場合は以上述べたことを念頭に置いておくことが必要である。   次に、都道府県警察の組織については、警察法に「警視庁及び道府県警察本部の内部組織は政令で定める基準に従い、条例で定める」と規定されており、その政令である警察法施行令は「警視庁及び道府県警察本部の内部組織の基準は付録に定めるところによる」と定め、その付録は、第一・警視庁、第二・大阪府警察本部ほか指定県等、第三・静岡県警察本部、第四・その他の県警察本部という四つのグループに分けて、その基準を定めている。   以下、警視庁の組織を例として説明することにするが、その他の道府県警察本部もその規模においては、大小の差はあるが、質的な面には差は全くないといってよい。 2 警視庁の例   警視庁では戦前においても、交通警察の組織を設けていたが、戦時中はその名称が輸送課ということで、戦時下の輸送業務を中心としていた。終戦とともに交通専務の警察官を増強し、白バイも強化して交通警察の復活を図り、昭和21年2月に保安部交通課を置いた。昭和23年、警察法の制定により、自治体警察としての警視庁となったが、道路交通情勢の悪化に対処するため主として指導取締りに当る交通一課と、規制等の技術面を担当する交通二課を設け、新しく作られた警備交通部に所属させた。次いで昭和25年、新たに交通部を創設して要員を倍増するなどして、交通警察の充実を図った。 その後も所謂白バイの取締りを強化する目的で、交通機動警ら隊を組織し、また、技術担当課である交通二課の付置機関として自動車運転免許試験場を設置し、道路交通事情の進展と変化に対応した。   警察法の改正により、警察組織の基本的な改正が行われ、新しい制度下の警視庁は、昭和29年警ら交通部を設け、交通一課、交通二課、自動車パトロールを主管する警ら課の三課のほか付置機関として運転免許試験場を置いた。   昭和32年4月、警ら交通部を廃止して新たに交通部を設け、交通総務課、交通第一課、交通二課、自動車運転免許試験場の三課一場の構成とした。交通総務課を設けたのは従来、交通一課の中にあった庶務、企画等の業務を分離し、併せて交通安全教育等交通安全関係の業務の強化を図り、これらを一括して処理させることとしたためである。が、同時に交通一課はこれを機として総合的な取締りを実施する体制を作り上げて、交通取締りの主務課となった。   昭和35年12月新しい道路交通法が施行され、交通警察の任務はさらに多岐に亘るようになり、交通警察の質的強化を図ることになったが、警視庁ではこのほかに、昭和39年に東京オリンピック大会が開催されるので、その準備態勢を整える必要があった。このため、昭和36年以降、相次いで交通警察の組織を強化する措置を講じて、運営の充実を図った。昭和36年6月、交通情報を収集して交通管理を行うため、交通情報センターを設けた。規模は小さく、収集のための通信機能等も十分ではなかったが、その当時としては交通警察の活動として一つの時期を画するものであった。その後研究を続け、昭和38年には近代的な交通情報装置を設置し、情報センターを充実した。このセンターがそれから以後の各道府県警察における交通情報機構の基となった。   道路交通事情の悪化への対応と東京オリンピック大会の準備のための対策のため、交通規制の科学化を早急に図るため、主管である交通二課に建設省より出向した技官を配置し、交通規制の技術の向上などを担当させた。その後、その業務の充実を図り、昭和39年に付置機関として交通企画調査室を設けた。東京オリンピック大会という、戦後最大の国際的イベントの開催のための準備とその実施の体験は、警視庁における交通警察の画期的な質的改善と向上を促した。   昭和40年には、交通部の組織は次のようになっている。交通部長の下に、参事官を置き、交通総務課、交通執行課、交通処理課、交通規制課、交通管制課、交通企画調査官、自動車運転免許本部、府中及び鮫洲試験場、第一交通機動警ら隊、第二交通機動警ら隊を置いている。   警視庁のこのような、道路交通の実態に対処して、組織の充実を図っていることが、他の道府県警察の参考となり、それぞれの警察において特色のある組織を作り上げている。 (資料編 第4−1) 第4節 交通警察展開の政策   の基本となったもの  すでに述べているように、わが国の道路交通事情は戦後10年を経た昭和30年頃から急速にその複雑困難の度を深め、年々その姿形が変貌している。その中で特に目立つことは、自動車の交通量の増加の甚だしいこと、道路条件と主として自動車の交通の間のアンバランスが大きく目立ちはじめたこと、交通事故及びそれによる死傷者が急激に増加したこと、等である。これらは何れもモータリゼーションの進展に伴って、その中に内包されているひずみが顕在化しつつあるということを示しているものである。 第1 交通事故防止対策要綱   このような状態に対し、政府は昭和30年6月、交通事故防止対策要綱を定め、関係省庁に対し、相互に連係し、協力してそれぞれの分野で交通事故防止のための対策を実施し、その総合効果として交通事故の発生を防止すると共に、その発生を最小限に食いとめることを強く要望した。この対策要綱の内容等については、すでに十分説明しているのでその記述は省略するが、その対策要綱には、交通警察の責務の範囲に属することが多く述べられており、警察庁としては、この対策要綱を最も重要な拠りどころとして、組織の強化、対策の検討及び実施に着手した。   その中でも最も重要な対策の一つとして、道路交通取締法の全面改正による新しい道路交通法の制定をあげねばならない。そのことについては節を改めて詳述する。 第2 道路交通法の制定及び、一部改正の際の衆参両院の地方行政委員会の付帯決議   法律が制定される時、その法律の施行に係わって、その法案を審議した衆参両院の主管委員会が、審議の過程を踏まえて、付帯決議を付するのが例になっている。道路交通法についても、そのはじめての制定の際、及びその後の重要な改正の行われた際に、それぞれ付帯決議が付されている。その付帯決議の中、道路交通法の制定の際の昭和35年5月17日の衆議院地方行政委員会の決議、及び同年5月30日の参議院の決議の内容の概略、ならびに昭和40年6月1日制定の道路交通法の一部改正の際の参議院地方行政委員会の昭和40年5月4日の付帯決議及び衆議院地方行政委員会の同年5月17日の付帯決議の概略を述べておく。蓋し、これらは交通警察の運営と道路交通事情改善のための基本的な方策を法律の制定の際に国会の意見として述べているといってよいものと考えられるからである。 1 道路交通法制定(昭和35年6月)の際における衆参両院の地方行政委員会の付帯決議の要約 (ア) 道路交通に関係のある各省庁の連絡調整を徹底して、総合的な道路交通行政の実現を期するとともに、内閣に協力な調整のための機関を設けること(衆参) (イ) 順法精神を昂揚するための国民運動の展開、とくに車両等の運転者、道路の使用者等に法の趣旨の徹底を図ること(衆参) (ウ) 学校教育を通じ、学童に対し交通知識の普及を図ること(衆参) (エ) 交通警察の要員の充実及び施設装備の充実を図ること(参) (オ) 都道府県単位又は地区別に交通事故防止のための組織あるいは、モニター制度の採用など、国民の協力態勢を確立すること(衆) (カ) 安全運転の一般原則に関する基準を設定して、その運用の慎重を期すること(衆参) (キ) 行政処分について苦情処理機関の設置を検討すること(衆参)、及び運転免許の取消、停止については慎重を期して処理すること(参) (ク) 以上のほか、自動車教習所の指定基準の確立強化、質的向上を強く要望する旨が述べられている(衆参) 2 昭和40年道路交通法の一部改正の際における決議   道路交通事故及びこれによる幼児学童をはじめとする貴重な人命の損傷が激増していることが現下最大の社会問題である。政府は各般の方針を講じつつあるが、事態の極めて重大かつ遷延を許さざる実情にかんがみ、広く国民各層に人命尊重の観念を徹底させるとともに以下のような措置を強力に推進すること(参)。政府は現下の交通事故激増のすう勢に対処し、次の諸点について強力かつ抜本的な措置を講じること(衆)と述べ、以下の決議事項を述べている。 (ア) 警察庁、運輸省、建設省等の行政機関相互の連絡調整をさらに徹底し、一元的総合的な道路交通行政を策定推進すること(衆)中央地方に交通安全の一元的調整機関を設置すること(衆参) (イ) 歩道整備、ガードレール、信号機等交通安全施設を早急に整備拡充し、そのための十分な財政措置を講ずること。(衆参) (ウ) 運転免許を根本的に再検討し、適性検査を強化する等改善合理化を図ること(衆参) (エ) 自動車損害保険制度の内容を充実強化し、被害者救済制度につき、一層の改善を図ること(衆) 第3 交通基本問題調査会に関する   諮問及び答申(昭和37年4月諮   問、昭和39年3月答申) 1 政府の諮問    政府は「陸上交通について、幹線交通及び大都市交通の整備の立遅れにより、経済発展を阻害しているばかりでなく、国民の日常社会生活にも多大の不安と不便を与えている実情である。」と認識して、基本的に交通問題を調査し、その対策を樹立することを目的として、昭和37年4月に交通基本問題調査会を設置した。この調査会に対し、昭和37年8月内閣総理大臣から、「わが国の陸上交通に関する総合的施策について貴調査会の意見を求める」という諮問を発した。その諮問の趣旨及び諮問を求める諸点の要旨を掲げる。 (1) わが国の陸上交通体系の整備の問題である。最近推進されている全国総合開発計画、及びそれに基づく地域開発計画との関連を十分に考慮しつつ、わが国の自然的地理条件や経済情勢の進展に適合し得る交通体系を整備することが重要である。 (2) 大都市及びその周辺域における交通需要の調整の問題である。大都市における交通需要は、常に交通施設の供給能力を上廻り、慢性的な交通混雑と交通渋滞を引き起こしている実情である。この問題を解決するためには、交通施設を整備充実し、所要の輸送力の確保につとめるとともに、衛星都市、新官庁都市等の建設、市街地の再開発等を図ることが重要である。 (3) 交通安全態勢の確立の問題である。交通事故の発生は、全国的に逐年増加の一途を辿っている実情にある。したがって、わが国の交通対策の重要な一課題として今後総合的角度からなお一層の努力をはらわなければならない。道路、鉄道等の交通施設における安全施設の整備が必要であり、また正しい交通秩序を確立するため、国民各層に対する交通安全思想の普及徹底方策について検討する必要がある。さらに交通事故の被害者に対する救済制度、交通事故に対する罰則等の再検討も重要である。   「以上三つの問題を中心として貴調査会の慎重かつ十分なご審議を煩わしたい」としている。   この諮問を見ると、第一の交通体系の問題は行政的には主として、運輸省に係るものであり、第二の大都市その他周辺地域の需給調整の問題は、専ら建設省の主管に係るものである。第三の交通安全体制の確立の問題は、関係各省庁にわたるけれど重点的には警察庁に係わることが中心となっている。   その諮問の趣旨を現在(平成13年)の眼を以って見ると、当時の交通問題の重点が浮かび上がってくる。そして、現在すでにそれらの諮問に応えた対策の中、実現しているものも多々あるが、なおかつ、ここで提起されている道路交通上の問題は、そのまま残されている現在の問題であり、今後においてその解決を要するものである。   「ローマは一日にして成らず」ということを道路交通の問題に対するたびに痛感させられる。 2 答申 ― その構成 ―  この諮問に対する答申が、昭和39年3月に「わが国の陸上交通に関する総合的施策について」というタイトルの下に行われている。その答申は三編に分類されている。「第一編 交通体系について」は交通投資の増強、財源、交通市場の確立、交通施設用地の確保、運賃料金制度、等々、主として交通経済に係わって具体的政策に論及している。「第二編 大都市交通について」は、主として、大都市交通対策の内容として、需要面の対策と供給面の対策という二つの項目を設けて、それぞれ具体的な施策の提案を行っている。   この二つの編に述べられている提案は、終戦以来、異常に膨張し変容している道路交通の諸条件のアンバランス、その中に潜んでいる大きなひずみに対し、根本にさかのぼって検討し、とるべき対策を述べているものであるが、この稿ではそれについての叙述は省略し、資料編にゆずることにする。   「第三編 交通安全について」は詳細に主として交通事故防止に対する対策を述べており、交通警察の所掌に係わるものが多いので、それらについて要約して述べておく。 3 答申−第3編 交通安全について−   答申の中、道路交通の総合的な安全対策を述べている第3編の中のまえがき及び総論について要点を摘記する。 (1) まえがき   わが国においては、伝統的に人命尊重の観念が希薄であり、かつ、最近とくに経済成長の達成に急なあまり、交通事故防止対策が等閑視されてきたことが、今日の深刻な事態を招来したものと思われる。   政府は、福祉国家を目指す以上、従来の考え方を根本的に改めて、人命の尊重が何ものにも優先するということを確認し、あらゆる施策の立案に当って、安全最優先の原則を貫くべきであり、この見地から、交通事故防止対策を、他の政策に優先して早急に確立し、強力かつ迅速にこれを実施することが必要である。 (2) 交通事故の現状とすう勢   「元来人間の注意が事故を防止する根本要件であるが、人間の注意力にも限度があって、わが国の劣悪な交通諸条件が、交通の現状に即応して改善されない限り、交通事故の防止も効果的な成果を期することは不可能である」と述べ、道交法の施行を機に、一時減少を見た事故が昭和38年になって再び増勢に転じていることを指摘している。 (3) 総合的交通安全施策の確立   「現在のような交通事故発生の深刻な事態を招来した最大の原因は、近代交通の急激な発展に対処して、これに相応する総合的な安全施策が必要であったにもかかわらず、従来政府においては、ややもすると人命尊重の観念が希薄であって、交通安全に対する考慮が十分でなく、とくに、その実施に対する熱意に乏しく、交通安全施策が他の諸施策にくらべ著しく立ち遅れていることにあると思われる。」と述べて、徹底した総合交通安全施策を急速に確立する必要のあることを強く要望し、次のような施策を掲示している。  (ア) 交通安全施設等の整備   「道路の不備に対する措置の実現が遅れている上に安全施設の整備及び交通環境の問題が交通事故の原因となっている」ことを指摘し、道路における安全施設の整備、交通環境の改善等を優先的に取り上げることを強く指摘している。  (イ) 交通容量の増加   現実に、わが国の道路事情は、交通量が道路の交通容量をはるかに上廻っている。このことが交通事故の原因となり、交通渋滞の原因となっている。平行路線の新設、道路の拡幅等の措置により、交通量を交通容量内に収めるような措置をとることが重要である、と強く指摘している。 (ウ) 交通安全教育訓練、交通取締り等の徹底方策   「交通道徳の高揚を図り、一般国民が正しい交通マナーを身につけ励行することが基本的に必要であり、交通安全思想の普及徹底ということを、計画的かつ粘り強く推進しなければならない。また、その効果を十分にあげる上においても、“交通安全に関する取締り”をさらに強化する必要がある」と述べている。  (エ) 被害者対策   「交通事故による被害者に対しては、手厚い救済措置を講ずることが極めて必要であり、この場合、国家の後見的機能が十分に発揮されるよう措置することが肝要である。」として、国家による救済措置の積極化を求めている。  (オ) 交通事故防止に関する科学的研究の推進   「最近欧米諸国においては、交通事故発生に関する統計的研究、運転者の適性、運転時における状況、交通事故被害者の療養等に関する医学的又は心理学的研究、道路、車両、鉄道等及び交通規制に関する工学的研究等が行われている。このような科学的研究は交通安全対策の基礎をなすものであるから、政府は上述のような研究の強力な推進を図り、その成果を積極的に利用しなければならない。」  (カ) 資金の確保   「交通事故による社会的災害については、毎日多数の死傷者を生じているにもかかわらず、安全確保に対する投資が等閑視されている」として、「できる限り国の予算配分に際して、重点的に資金を投入する」ことなどを強く要望している。さらに、「道路交通違反等の交通事犯に係る罰金科料が年額約100億円徴収されており、これを交通安全に関する諸施策の強化資金に加えて投入されると交通事故防止に一層役立つ」として、罰金科料の財政的利用について言及している。  (4) 交通安全行政のあり方   「毎日発生している交通事故は国民生活を著しく脅かす、近代交通がもたらした一大社会悪である」として、これを取除くための交通安全施策を講ずることは、福祉国家を目指す近代国家の重大な責務であると強調し、次のような厳しい意見を述べて対策の立案と実施を迫っている。   「政府は国民経済の高度成長の達成に急なあまり、交通政策の重点を輸送力の増強に置き、国民の交通安全に対する配慮が軽視されがちであった。また、交通安全行政は、これに関係する行政機関が複雑多岐に亘り、各省庁間の連絡調整が十分でなかった。これらがわが国の交通安全行政の著しい立ち遅れをもたらした根本原因であり、ここに政府の政策態度に根本的な問題があったと思われる。」   このような見解の表明の上で、政府の交通、道路、運輸に関する行政施策の企画、立案ならびにその予算的裏付けにおいて、また、公私の企業経営において、交通安全対策が最優先的に考慮されなければならないことを義務づけ、その他国民に対する交通安全教育の組織的推進を図り、国民の交通安全への協力体制を確立する基本組織等を考えた交通安全基本法の制定を提案している。同時に各省庁間の連絡調整を図り、交通安全行政の推進することのできる専任機関を政府内に設置することを述べている。  (5) 国民の理解と協力を得ることの  必要性   総合的な交通安全施策を実施するためには、国民の理解と協力を得ることが最も必要なことである。交通安全施策の実施には、ばく大な資金を必要とし、そのため輸送力増強にも少なからぬ影響を与える結果になることもあるし、交通制限、時差出勤、等々で国民に対する不便や諸々の負担を課することになる。政府としては、当然それらの制限負担は最小限にとどめるように努めるべきだが、国民も政府に協力することが必要である。   以上は、答申の総論で述べられているものの要約であるが、以下、第二部各論で、第一・交通安全施設等の整備、第二・交通環境の整備、第三・交通安全推進体制、第四・被害者救済対策の4項目に分けて、詳細に具体的な施策を掲げて、その実現を要望している。これらの細部については、ここでの記述は省略するが、後述する各章で、それらの内容を引用し、又は解説することにしたい。 まとめ 1 政府及び国会で示された交通事故防止の総合対策についての見解を紹介したが、それらを通じて、とくに、交通警察に対する要求、改善意見と考えられるものを集約して述べておきたい。 (1) 道路交通に係る各省庁の行政の連絡調整を図って総合的施策を樹立し、その実現を図ること。   たて割り行政に伴う欠陥の是正を求めたものである。 (2) 国民に対する交通ルールの認識とその順守を促すための国民交通安全運動を展開するほか、学校教育等において交通ルールの教育を行うこと。   交通事故の原因の大きな部分として、国民の交通安全意識、交通法規の知識、順法意識の欠如が挙げられ、このための啓蒙及び周知徹底を強く要望している。 (3) 交通警察の強化充実を図ること。   要員の確保、取締り態勢の強化と取締りのための科学的装備の充実を図り、併せてそのための財政上の措置を講ずること。 (4) 交通取締りの強化と悪質犯に対する罰則を引き上げること。   交通事故の原因として、無免許、酒酔い、速度の出し過ぎ等悪質かつ危険な運転が挙げられる。これらに対しては厳しい取締り態勢を以って臨むとともに、罰則を強化して事故防止の徹底を期すること。 (5) 道路上の安全施設の総てについて、その整備充実を図り、併せてそのための十分な財政措置を講ずること。   道路の歩道の整備、ガードレールの設置、信号機の充実等、およそ道路交通における道路としての安全確保のための広汎な範囲に亘る対策と措置を要望している。 (6) 運転免許制度については、適性検査、試験の方法等について検討するとともに、全国統一の基準の設定を図ることなど、制度全般について検討すること。 (7) 交通警察の運営について、心理学、医学(とくに救急医学)交通工学等の学術的知識と技術を導入して、とくに交通事故対策、交通規制等についての科学化を図ること。 (8) 行政処分について、その適正化を図るとともに、手続き及び処理の迅速化を図ること。 2 この節に掲げた衆参両院の地方行政委員会の付帯決議及び、基本問題調査会の答申を通じて痛切に感ずることは、昭和35年頃から数年間におけるわが国の道路交通の実態を背景として、これに対する政府の対応の甘さ、不十分ということに対し、極めて厳しい見解を表明しているということである。   昭和40年5月、道路交通法の一部改正の際における参議院地方行政委員会の付帯決議において、「道路交通事故及び幼児学童をはじめとする貴重な人命の損傷は、現下最大の社会問題である。このような事態は極めて重大かつ遷延を許さざる実情であり、政府は緊急対策を強力に推進するため提示する各対策を早急に実施し、その遺憾なきを期すべきである」(要旨)と述べて、政府の決意を促している。   交通基本問題調査会の答申は、前各段でも述べているが、更に直接的かつ強烈である。「最近とくに経済成長に急なあまり、交通事故防止対策が等閑視されてきたため、今日の深刻な事態を招来したものと思われる」と断定している。   「政府は従来の考え方を根本的に改めて、あらゆる施策の立案に当って安全最優先の原則を貫くべきである」とし、「従来政府においては、人命尊重の観念が稀薄であって、交通安全に対する配慮が十分でなく、とくにその実施に対する熱意に乏しく、交通安全施策が他の諸施策に比べて著しく立ちおくれている」と厳しい政府に対する非難とも思える意見を表明している。 3 終戦後、10年程の間の道路交通の混沌期を脱して、自動車交通を中心とする道路交通が伸長するにしたがって、むずかしく困難な諸々の問題が一挙に吹き出してきた。それまでは、政府は道路交通については“警察の交通取締りにお任せ”という安易な考え方であったのではないかと言われても仕方がない程に無関心であった。このことは、前述の「答申」の中でも明らかである。ところが道路交通事情の激変と死傷者を伴う交通事故の多発という事態に直面して、昭和30年6月、政府としての総合対策をはじめて宣明する交通事故防止対策要綱を決定し、さらに、「将来にわたる根本的かつ恒久的な交通対策について調査審議するため」昭和37年5月内閣総理大臣の諮問機関として、交通基本問題調査会を設置し、昭和39年3月諮問に対する答申が行われたことは、既述の通りである。   このように昭和30年から約10年の間において、政府及び関係の各行政機関は、試行錯誤を繰り返しつつ、激変をつづけている道路交通に対する政策を明示し、その実現のための施策の企画、立案を図り、その実施につとめてきた。   平成13年の現時点において、過去30数年を回顧するとき、その間に実施され、また、現に実施しつつある殆ど総ての道路交通に係わる対策、施策は前述の昭和30年から40年にかけて、策定された政策に基づくか、またはそれを下敷にして発展させたものであることに気がつく。   昭和30年から10年間は、これを事業にたとえれば“創業の苦斗の時代”といえるものではないだろうか。