第2章 交通事故 序言 ―交通事故とは― 道路の上を自動車が走り、人が歩く限り、交通事故は当然起こるものと恐らく多くの人は考えるであろう。少なくともやむを得ない不幸な出来事と考えているであろう。  交通事故は、極めて非情なものである。その直前まで元気で歩いていた人が、次の瞬間、傷つき又はその生命を失うのである。ところが、この人間の貴重な生命が損なわれ、失われているという事実が、ある時期までは「死亡事故」が新聞の片隅にわずか数行の記事で報ぜられ、社会の中に起こる単なる小さな一事象にすぎないとして、行政的にもマスコミの上でも、考えられていたのである。  そのような時期、次のような考え方が発表されている。「道路交通とは、道路の上において実現している人間の具体的な社会生活である。その中で生ずる交通事故は、ある意味の社会的な病的現象である。」と。このように論じた所以は、一方では交通事故の発生をある程度やむを得ないものと認識しながら、しかし、それは正常な状態ではなく、異常な状態であると考え、“社会的な病的現象”と断じたのである。病気であるならば、その病巣を探りあて、社会問題としてその原因を調べ、治療対策を樹てるべきではないかと主張したのである。その病巣は、道路交通を組み立てている構造の中に存すると判断した。  この考え方の基本は、今日においても変わらないと考える。即ち、道路交通は、本来的には、安全かつ快適に行われるべきものであり、又、なすべきものである。道路を歩く人も、自動車を運転する人も、意識すると否とにかかわらず、そのように思っているはずである。  とすれば、交通事故というものは、道路交通における社会的、人為的異常現象と見るべきではないかと考えられるのである。この異常現象は、天災地変という自然現象とは全く異なる人為的なものである。  人為的な異常現象と観ずるならば、この異常現象の発生の防止は可能と考えるべきものであり、その考えの基本理念は“人間の生命の尊厳”という観点から考えるということでありたい。  この理念に立つならば、交通事故について、傷者や死者を単なる数字の増減によって“良くなった、悪くなった”と考えるのではなく、貴重な人命の損傷、死亡という事実の一つ一つについて、真剣かつ深刻に考えるべきではなかろうか。  平成12年現在、毎年一万人以上の死者があり、100万人に近い負傷者が出ている。このような事実が恒常化している現実について、政治も行政も、そして国民全体が最も重要な問題として考えるべきものである。“死者を減らす”のではなく“死者を無くする”という発想が是非とも必要である。 第1節 交通事故発生の条件 1 終戦直後の道路交通の実状は、前章で述べた通り、道路条件の不備、交通機関(自動車及びその他の諸車)の無秩序な運行、無頓着に歩行する人等の悪条件が相互に関係しあった、混沌とした無秩序状態というものであった。   そういう状態に対して、秩序を維持し、事故の防止に当る警察能力が十分でなかった。ここに、この時期終戦直後から4〜5年の間に特有のものといってもよい交通事故が多量に発生したのである。 2 この時期に、交通事故の生起の原因となった諸条件を分析して見よう。 (1) 戦前の日本の道路は、その構造上、多量の自動車が運行し得るようなものは、特別な主要道路又は軍事用の道路以外は、極めて少なかった。   安全かつ円滑に自動車その他の諸車や歩行者が通行するためには、歩道と車道の区分があること、路面が舗装されていること、主要な交差点には信号機があり、道路全体について安全通行のための施設その他の措置があること等は、最小限必要な条件である。その当時そのような条件は殆ど整っていなかった。    そのような諸条件が交通事故防止の観点から考えられるようになったのは、終戦後10年以上経過してからのことである。   戦時中、道路の改善は、極く一部の軍用道路以外殆ど顧みられる余地はなく、その上度重なる空襲によって道路は到るところで損壊され、使用不能となった区域も少なくなかった。かくて進駐してきた各地の占領軍が一番先に要求したのは既存道路の修繕と清掃であった。 (2) 終戦直後の自動車、その他の諸車の数量については、すでに述べたところであるが、特徴的な条件を見ると、自動車については貨物自動車が全自動車の70%を占め、乗用車は僅かに15%前後であること、それらの自動車も前照灯が故障している等、整備不良車が多かったことである。   牛馬のけん引による諸車が多量に運行していた。既述したように、小運送業において使用されていたものは 8,000台以上あった。このほか人を運ぶための人力車、自転車も道路交通の主体であった。  当時の占領軍の記述の中に、「都市の真中を、螢形の桶を数箇連ねた異様な荷車が動いていた。各家庭から採取した人糞を運搬する車である。われわれは、これを蛍車と呼んでいる。」とある。このような車も都市の中を通行していた。   これらの自動車その他の諸車は、それぞれ形態、性能を異にしており、それらのものが全く雑然として通行していたのである。 (3) 終戦後、占領解止に至るまでの間約7年間は、道路交通の中で大きな部分を占め、かつ、その走行形態において日本の自動車等の運行と大きな相違のあったのは、占領軍車両であった。   全国で、どれ位の占領軍車両があったかは明らかではない。しかし、主要占領基地(旧日本軍の軍港所在地、主要軍用飛行場所在地、主要都市等)としたところは、多量の占領軍車両が集中し、その基地を起点として各地に占領軍車両が走行した。(資料編第12−20 参照) (4) 以上述べたような道路の条件とその道路の上を走行する自動車及びその他の諸車の量及び走行の実態の極端なアンバランスが交通事故をひき起こす大きな要因になっている。    当時、日本の大動脈である東海道の静岡県下での報告によると、至るところに道路の穴ぼこが生じ、そこに泥水が溜まりその泥水が両側の人家にはね飛んで被害を与えるので、その付近の者が穴ぼこに大きな石を置いて自動車の通行を阻害した、ところが、その石に自動車が衝突して事故を引き起こしたという。   道路からの転落、人家への突入等、当時における道路条件の欠陥と自動車の運行条件の劣悪とが相乗して、特異な交通事故を生起させる原因となった事例は決して少なくない。 第2節 人に係わる条件 (1) 道路がどうであれ、また自動車や諸車の量が多くても、そのこと自体が交通事故の直接の原因になることは、特別な事例を除いては先ずないであろう。交通事故を起こすのは総て人であると言ってよい。「自動車がどうこうした」というけれども、自動車そのものは単なる物体であり、これを運転する人があってはじめて「動く自動車」となるのである。   交通事故を考える場合、道路交通に係わる人について考えることが最も大事なことである。その考え方としては、自動車を運転し又は道路を歩行する人そのものの在り方はいかにあるべきかということと、自動車を運転して走行しまたは道路を歩く人(運転者、歩行者)に対して道路を交通する条件をどのように整えるか、ということの二つのことがある。 (2) 道路交通については、ルールが必ず定められている。戦前においても道路取締令と自動車取締令があり、さらに各都道府県では都道府県令を以って道路交通取締規則を定めていた。   次いで、終戦後、昭和22年に道路交通取締法が制定され、道路交通のあり方について、全国を統一する方法を定めるとともに、「道路を交通する場合は、正しく法令の定めるところに従う」ことを明らかにし、また、この法令の普及についても努力した。   しかし、終戦後の数年間は、道路を交通するものは交通法令の知識は極めて乏しく、また、法令に従うという意識も薄かった。その意識を目覚めさせたのは占領軍であった。既述した通り、地方に所在する占領軍の各級指揮官は警察官署に対し、とるべき内容を示し、厳しく取締ることを要請した。この要請に基づく取締りが、戦後行われた最初の道路交通についての警察対策であった。   占領軍による指示指令は厳しく通達されたが、現実には自動車の運転者は、道路の中央を走行し、速度の出し過ぎ、整備不良車の運転、さらには酒酔い運転等、取締法令に対する違反が、数限りなく犯された。歩行者も法令を守るという意識は極めて乏しかった。   このような占領軍の指導の経験を生かし、各都道府県警察では交通安全教育による法令知識の周知徹底、安全運動の展開などを行い、また自動車の運転者に対しては運転免許証の更新時に講習を行うなどの対策を行った。   しかし、事故防止対策の綜合的効果が出てくるまでには、更に多面的な対策を必要とし、とりわけ学術的に歩行者、運転者の交通の場における心理などを研究することが必要だった。しかし、そのような対策が展開されるようになるには、なおしばし時間の経過を必要とした。   当時においては、当面、警察官による取締りが最も有効な手段と考えられた。   この取締りについては、取締りと交通事故には相関関係ありとして、占領軍の軍人より教えられたという「取締りが厳しければ厳しい程交通事故は減少する」という考え方が真剣に取り上げられた。取締り件数と交通事故数の相関について「取締り係数」という考え方が、とくに第一線警察で重視された。当時の道路交通の実情からは、たしかにある程度妥当な考え方であったと思えるが、しかし、このことが後々まで「取締り万能」という空気を警察内部に広げ、これから先、一般市民の交通安全に対する協力を得る上で、一つの壁になったことも事実である。   取締りということについて、真正面からこれを取り上げて法令の問題としたのは、昭和35年の道路交通法の全面改正の時である。  第3節 交通事故の分析 1 交通事故を考察する場合、年々どのような事故が、何者によって、何を原因として、どれ程の数量で生起しているか、ということを明らかにすることが必要である。一口で言えば、交通事故の分析である。この分析があってはじめて事故防止対策が樹てられるのであり、その分析が正鵠を得ておればいる程、対策もまた効果的なものとなるのである。   終戦後から約10年のこの期間においては、前述した通り、交通実態が混沌としており、発生した事故についても的確な調査、資料の蒐集は頗る困難であった。その上、交通事故を取り扱っている警察組織が、昭和29年制度改正に至るまでは多数の自治体警察に分立していたので、交通事故についての発生件数とか死亡、傷害等の数字は報告され集計も行われていたが、何ものが、何を原因として、というように分析するには極めて資料が不十分であった。 2 厳密な交通事故の分析を行うためには、事故一件毎に、その生起した場所の道路の状況その他交通環境の条件を調べ、また自動車等の運転者の心理の状態がどのようであったかも調べることが必要である。しかし、当時の実情はそのような調査を一件毎に行うことは極めて困難である、というよりは不可能に近かった。   以下に示す統計は、当時の国家地方警察本部が、全国の警察から報告された資料に基づいて原因別に分類して作成したものの中から、当時の交通事故の発生の形態及び傾向を推知し得ると考えられるものを抽出したものである。 3 次の各表によって、それぞれの原因について考察すると、第1表に掲げられている自動車等の運転者の操縦未熟、避譲不適当が特徴的なものとして注目される。この原因をさらに深く追求すると運転者の技量未熟という事実のほかに、運転経験の不足と道路交通の諸条件の劣悪ということがあり、これらが相応じて交通事故の原因となっていると考えることができる。 [1表]車の運転者についての原因 │ │昭和23年中│昭和28年中 │ │件数│20,892 │71,562 │ │順位│ │ │ │ 1│操縦未熟練│追越不適当 │ │ │8.7% │11.2% │ │ 2│追越不適当│徐行違反 │ │ │7.8% │1.2% │ │ 3│徐行違反 │脇見運転 │ │ │2.1% │6.6% │ │ 4│合図不適当│ハンドル等操作不履行│ │ │5.5% │5.9% │ │ 5│避譲不適当│右左折不適当│ │ │4.9% │5.6% │ │計 │32.8% │38.5% │   第2表は、第1原因者としての自動車の種別による比率を示しているが、貨物自動車が事故の原因者として約半数を占めているということは当時の自動車交通の実状を示しているといってよいであろう。終戦直後から約25年間は、自動車の数量は乗用車に対して貨物自動車が遙か、に大きく、また、 [2表]第1原因者としての車の    種類についての原因 │ │昭和23年中│昭和28年中│ │ 1│貨物自動車│貨物自動車│ │ │ 46.4%│ 48.2%│ │ 2│乗用自動車│乗用自動車│ │ │    16.8%│ 25.5%│ │ 3│自転車 │自転車 │ │ │ 13.2%│ 8.7%│ │ 計│ 76.4%│ 82.4%│ 貨物自動車の運行は、地域的にも距離的にも乗用車に比べて遙かに広範囲であり、長距離であった。参考までに平成10年度においては、逆に乗用車の事故比率が貨物自動車に較べて圧倒的に大きくなっている。これは昭和20年代と現在の自動車交通の実態の相違を極めて明確に示している。   第3表の歩行者の原因を見ると何れも道路の歩行について、無防備、無関心ということが端的にあらわれているように推察される。遵法意識の希薄、交通安全教育の不十分というようなことが、その原因になっている。 [3表]歩行者についての原因 │ │ 昭和23年中│ 昭和28年中│ │ 1│車の直前直後横│車の直前直後横断│ │ │     19.2%│     42.1%│ │ 2│右側通行 │路上遊戯 │ │ │ 11.8%│ 10.4│ │ 3│路上遊戯 │幼児のひとり歩き│ │ │    11.1%│ 6.2%│ │ 4│車道立入 │酩酊徘徊 │ │ │ 9.7%│ 5.7%│ │ 5│踏切不注意│斜横断 │ │ │ 5.0%│    5.2%│ │ 計│ 56.8%│ 69.6%│ [表4]発生場所について │ │ 昭和23年│ 昭和28年│ │市 街 地│ 71.2%│  73.0%│ │非市街地│ 28.8%│ 27.0%│ │ 計 │ 100.0%│ 100.0%│ 4 交通事故の分析は交通事故防止対策を樹てるための最も必要な要件である。その分析を的確に行うためには、先ず第1に、交通事故の処理に当たる警察の諸機能の充実強化が必要である。アメリカ合衆国のロスアンゼルスでは、交通事故が発生した場合、警察は一方において交通事故の処理に当たるチームを現地に派遣するとともに、同時に、その交通事故が何を原因として起こったかを調べるチームを派遣する。このチームはその現場の道路の条件、その時の交通状態、信号機の有無、稼働の状況、交通整理の警察官が配置されていたか否か等を調査することになっている。その調査の結果を分析して結論を得たならば、可能な限り早急に対策を検討し、実施することになっている。このような交通事故の処理及び調査について警察機能が十分に発揮できるように警察官の訓練及び装備の充実が行われている。   第2に必要なことは、交通心理学、救急医療等の学問的寄与である。交通事故の発生するその奥底には、表面だけでは判らない事実が潜在している。事故を起こしたときの運転者の心身の状態、道路構造の状態などを科学的な観点から調べる意義は大きい。外国においては、早くから交通事故について科学的解明が行われている。その結果が道路の安全施設、信号装置、自動車の構造装置の安全化等の多角的な事故防止対策に活用され反映されている。交通事故による死亡負傷等を医学的に観察して、救急医療体制を整備充実している。わが国の場合、交通事故に対して学問的関心が持たれるようになったのは、昭和30年代後半のことである。